いしぷろ日記

つれづれ連載「20年フリーライターやってます」第22回_人生これすべてネタなり

 子どもの学校の新学期が近づくと、多くの母親は恐怖にさいなまれるんじゃないでしょうか。
 最初の保護者会で、うっかりPTA役員の当たりくじを引いてしまうのでは、という恐怖です。
 平日のまっ昼間に何度も会議に駆り出されたり、行事のたびに手伝いをさせられたり。仕事と家庭の両立だけでも大変なのになんでPTAまで!?と毒づきたくもなります。

 私は、小学校では合計3回PTA会長をやりました。当たりくじを引いてしまったのです。でも、会長になったのは自分の意志です。くじで役員になりましたが、役職は役員の中からの互選で決まります。どうせやるなら、副会長とか書記じゃイヤ。会長じゃなきゃ! だって目立つもん! そんなノリで引き受けた会長職。
 もちろん大変でしたが、人生これすべてネタなり、が私の信条。
 どうせ当たってしまったのなら、なにかに活かそう、そうだ、この機会にあのトラウマを克服しよう!と考えました。

 あのトラウマとは……。

 数年前に本を出したことがあります。その本を読んだという方から(あんなマイナーな本、よく見つけてくれたものです…)、講演の依頼が来ました。持ち時間は90分。初めての体験です。90分も何を話したらいいんだろう…。悩みましたが、本に書いた内容や、書ききれなかった内容とかを適当にしゃべったらいいか…くらいに軽く考えて、あまり準備もせずに臨みました。その結果、45分くらい話したところで完全にネタ切れ。何もしゃべることがないまま茫然と立ち尽くしたのでありました!! 恐ろしすぎる! 思い出したくもない経験です。この先私は二度と人前で話す仕事を受けることはないだろうと決意し、苦い経験にフタをして何年もが経っていました。

 しかし、PTA会長になると、やたらいろいろなところで、しかも何百人もの人を前に挨拶をしなければなりません。これをビビらずにこなせるようになろう。そうすれば、トラウマを克服できる! 

 で、たとえ小さな会議であっても、挨拶がある場合は必ず話すことを考え、暗記し、鏡の前で練習をすることにしました。たかがPTAなのにあほらしいと思われるかもしれませんが、私は必死でした。
 しっかり準備をすれば失敗をしなくなります。成功体験が人を成長させるというのはそのとおりで、「今日はうまくできた」という回数が増えるにつれ、挨拶が怖いどころか楽しみに思うようになりました。

 その頃から、講演や講師の仕事も来るようになりました。PTA会長の経験がなければ、あのトラウマが邪魔して引き受けられなかったのではと思います。そう考えると不思議なタイミングですよね。今でも年20回くらいはどこかしらでしゃべっているのではないでしょうか。トラウマも克服でき、今ではどんな場で話をしろと言われてもビビらないでできるという確信があります。

 もちろん準備をしっかりすることが前提です。

 用意は周到に、本番は大胆に、です。
 
 いろいろな場で話をして、もう一つ学んだことがあります。
 それは「自信なさそうな人は叩かれる」ということ。

 最初は、「私など、人さまの前で話すほどの人間ではないし、話も下手だし……」と思っていたり、実際にそういうことを口に出したりしていました。それって今ならわかりますが、仏教でいう卑下慢以外の何物でもありません。「私ってこんなに謙虚ですごいでしょ」という慢心であり、「だから失敗しても許してね」という言い訳であり。

 聴衆の方たちも、それを感じ取るのでしょう、自信なさそうに話したときは、必ず意地悪な質問をされたり、アンケートで酷評されたりしました。
 でも、「これからの2時間、絶対に無駄だったと思わせないだけの話をするからしっかりついてきてね!!」と強気にスタートすると、同じ内容を話したにもかかわらず、酷評どころか大好評をいただけるのです。

 PTA会長のときもそうで、1年目「私みたいなものが会長になりまして…」という態度のときは敵も多く、いじめられもしました。胃を悪くして死んじゃうかも…と思うほど悩んだ末、2年目からは強気の会長でいくことにしました。すると、だれにもいじめられなかったばかりか、多くの人たちに応援され、助けていただけたのです。
 
 どんな面倒なことがふりかかっても、「これをネタにしてやる!」と思って取り組めば、必ずや見返りがあります。
 これを成長の機会にしよう、くらいに思って、真正面からぶつかると、案外楽しく乗り越えられるかも!

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つれづれ連載「20年フリーライターやってます」第20回~時間の話

「時間管理はどうしているのですか?」
「自宅で仕事をしていたら集中できないでしょう?」
 フリーランスをやっていると、よく聞かれます。

私の場合、仕事場に入って椅子に座ると、即、集中モードに入れます。

 コツはあります。

 その1、仕事場は、自分にとって快適な場所にしておくこと。(早く諸雑事を終えて、あの場所に行きたい!と楽しみに思うくらいに)

 その2、だいたいでいいので、1日の生活パターンを決めておくこと。これ大事!
 人間って、規則正しいことのほうが継続できると思うからです。

 基本パターンは、
5:00  起床、夫と子どものお弁当づくり&朝食づくり
6:00~ 息子2号を起こし朝食を出す(朝練があるので)&夕食づくり&洗濯物干し
7:00~ 息子1号&夫とともに朝食
8:00~ 掃除機かけ(トイレは雑巾がけまで!金運アップのため!(笑)
8:30~ 英語の勉強
9:00~ オンライン英会話を受講
9:30~ 仕事スタート
18:30~ 帰宅&犬の散歩
19:00~ 夕食
22:00~ 再び仕事
24:00  就寝

 朝よほど早い取材とか、夜遅い取材がない限りはこのパターンを判で押したように続けています。

 ポイントは、家事を午前中に集中させること。1日中家にいるときでも、昼間に家事をしようとは思いません。それをやってしまうとキリがない。家事ってやりはじめると終わりがないので。

「規則正しいパターンだからこそ継続できる」のです。一度決めたパターンをあまりくずさないのが集中&仕事の効率を上げるコツだと思います。

 ちなみに、オンラインの英会話は、24時間好きな時に受講できるので、「夜、時間が空いたらやろう」みたいにしていたときもあるのですが、それは続きませんでした。これも時間を決めることが継続のポイントだと思います。(英語をやるのは、海外から仕事のオファーが来たときでも迷わずYes!と言いたいからです!だれか、お仕事お待ちしています!笑)

 土日は基本的には仕事を入れず、もし平日に終わりきらなかったものが出たときのためのバッファとしています。

 付け加えると、この生活パターンは、子どもの成長によって変わってきました。子どもたちが小さいときは、22:00には絵本を読み聞かせながら子どもと一緒に寝てしまい、4:00起き&仕事というのが基本パターンでした。4時起きというと辛そう、と思われるかもしれませんが、それがルーティンになっていると案外辛くないのです。

 さらに付け加えると、「締切よりも1~3日は早めに納品する」を自分に課しています。これは、子どもが小さかった頃からの習慣。万一、子どもが病気になっても仕事に穴を開けないためです。続けることで、「この人は絶対に締切に遅れない」という信用を得てきたと思います。フリーランスにとって、たぶん、技術力と同じくらい、締切を守ることは大事だと思います。

 フリーランス&在宅勤務で気を付けなければならないのは、「だらだらしちゃって仕事できないのでは?」というよりも、実は、ちゃんと休むことではないかと思います。
 うっかりすると飲まず食わずで夕方までぶっ通して仕事をしてしまうことって結構あるのです。
 会社にいるのと違って、自分に関係のない電話や雑事に煩わされることなく仕事に没頭できるのって快適です。ワーキングハイというのでしょうか、興奮状態になって時間を忘れてしまうのです。

 が、しかし。

 どうしても集中できないときって、あります。そんなときは、そういう自分を許すことにしています。
 なぜなら、本当に締切が迫ってきたら嫌でも集中するとわかっているからです。
「なんか今日は集中できない」というときは、余裕があるとき。そんなときは、その余裕を楽しんだほうがいい。仕事をしていると、アウトプットばっかりの毎日になるので、余裕のあるときにインプットをしたほうがいい。いいネタは、入れないと出せません!

 それに、休めないときは本当に休めませんからね。
 これも “フリーランスあるある”ですが、連休前にどんとお仕事をいただいて、納品は連休明け。「え? 連休中遊ぶなってこと?(苦笑)」みたいなことはよくあります。そういうときも心折れることなく楽しく仕事をするためには、休めるときに休むのがとても大事なのです。

 と、いっぱい書きましたが、もう仕事に戻らないと!!!(GW明け納品がいろいろありますんで…泣)

つれづれ連載第19回「20年、フリーライターやってます」~フリーランスのお金の話1

 これまでは、いかにしてフリーライターになったかという体験談を中心に話してきましたが、ここからは、フリーランスとして仕事をするためのノウハウ的なことを書いていこうと思います。釈迦に説法的な内容もあるかと思いますが、そんときゃ時間を無駄にせず、プチっとこのページを閉じてくださいませ…。これからフリーを目指します!という方のお役に立てればと思いながら書いていきます。

 フリーランスになって最初に直面する大問題の一つが、“ギャラ”=ギャランティ=報酬=ゼニ=「で、それなんぼになりますの」という問題ではないでしょうか。

「○○円でお願いします」と言われれば話は早いのですが、こちらから見積を出すことも多々あります。フリーランスあるあるの一つではありますが「高く出し過ぎて受注できないと怖い」「安く買いたたかれるのも嫌」の狭間で揺れ動くことになります。「自分の仕事に自分で値段をつける」のはなかなか難しい。

 最初に高めの見積もりを出し、値切られたら金額を下げ、結果的には最初思っていたよりちょっと高めの額で妥結するというのが賢い取引だとよく言われますが、私はそういう駆け引きを面倒くさいと思うタイプ。それに、お金の多寡で仕事を選びたくないのです。

「時給換算して〇円以下の仕事は受けない」という大前提はあるものの、「面白い」「自分が成長できる」など、金額以外のことで仕事は決めたい。
 となると、「どんな仕事を選ぶか」が重要になってきます。

 仕事には、だいたい次の4つのタイプがあるのではないかと思います
1)ギャラが高く、影響力(自分の名前が出るとか、雑誌や本なら発行部数が多いとか)もある
2)ギャラは安いけど影響力がある
3)影響力はないけどギャラは高い
4)ギャラが安く、影響力も少ないが、付加価値がある
5)ギャラが安く、影響力も少なく、付加価値もない

1)ってのはめったにありません(あったとしたら、もうただのフリーランスではなく、作家、アーティスト、大御所かも)。
5)は受けるべきではありません。

ということは、2)3)4)の中で、優先順位を付けることになります。

理想は、2)と3)の仕事がバランスよく常にある状態。

「常に」というのが結構難しく、フリーランスの場合、ふっと仕事が途切れることがあります。そのときにありがたいのが、4)の仕事。だから日頃から4)の仕事も、「安いから」とむげに断らず、大事にしたほうがいいのです。

 ただし、付加価値を意識することが大事です。

 付加価値とは、その仕事が「自分のスキルアップにつながる」「仕事の中での出会いが次につながる」「そのチームで仕事をすることが楽しい」などです。
 ただ「安い仕事をしかたなくやる」ではなく、ここから何を学べるかという意識を持つのが大事かな。

 安くて付加価値のない5)は、たとえ仕事が途切れて焦っていたとしても、受けないほうがいいかも。学びのない仕事をするくらいなら、その時間、スキルアップのための勉強をしておく。どんな仕事がきても「はい!」とすぐ受けられるように。「刀は常に磨いておけ」です。

 と、いろいろ言いましたが、そうそう思い通りに事は運ばず、結局、「しんどいばっかりで実入りが少ないな~」という仕事に追われる日々になることはあります。
 そんなときは、「前向きに仕事に取り組めばお金は後からついてくる」と言い聞かせて乗り切ることです。実際、「あのとき断らなかったから今があるんだな~」という仕事もたくさんしてきました。
 無駄になる経験は一つもないのです。

つれづれ連載第18回「20年、フリーライターやってます」~再びフリーランスになる

 名刺を失って初めて、会社という後ろ盾の大きさに気づくとはよく言われますが、私も、20代の終わり、出産を機に退職をしたときに身を持ってそれを知りました。

 ある会社の忘年会に呼ばれたときのことです。親しくしていたJという人にばったり会い、実は近々退職をするのだと伝えたら
「へえ、主婦になるんだ。それじゃあ話をしても仕方がないね」
すっと背を向け、彼は去っていきました。

 Jさんと私は、制作会社と発注者という関係でした。私はとてもわがままな発注者だと自覚していたので、Jさんの態度には軽いショックは受けたものの、腹は立ちませんでした。ていねいに人間関係を作ってこなかった自分が悪かったのです。Jさんのおかげで、私は非常にわかりやすい形で名刺の持つ力というものを思い知らされました。
 
 さて、webマガジンの編集長時代に話はもどります。

 3年間編集長を務めて、再び私は名刺を捨てる決心をしようとしていました。
 理由は、もう新しく学ぶことはなくなったと感じていたこと、若手に後を譲ったほうがもっといいものができるかもと思うようになったこと、などなど。毎月決まった報酬をいただけるという安定した毎日が、自分をダメにしてくような気もしていました。

 決定打になったのは、知人に誘われて参加したセミナーで、登壇した女性が言った「5年後もそこで働いている自分がイメージできなかったら、今すぐその仕事を辞めること」というひと言でした。
 もし5年後もそこにいるとしたら、求められてではなく、安定した生活を捨てるのが怖くてふてぶてしく居座っている私。そんなのは私の美意識が許さない。だったら、来年でも来月でもなく、辞めるのは今。

 ただ、辞めたことを後悔しないために、フリーになっても絶対に年収は落とすまい。昔の肩書を使って売り込むこともするまい。それだけ決めて、私はフリーランスにもどりました。
 跡を濁さずキレイに辞められたかどうかはわかりません。お世話になった方々には申し訳ない気持ちと感謝の気持ちでいっぱい。この雑文をかつての関係者の方が読むかもと思うと冷や汗。

 あれから、5年どころか10年は経ったでしょうか。
 大飛躍をしたわけでもないけれど、後悔はしていません。
 年だけはベテランの域だけど、まだまだわからないこともいっぱい。失敗も多々。
 でも、わからないことがいっぱいある毎日は幸せだなあと思うこのごろなのです。

つれづれ連載第17回「20年、フリーライターやってます」~やりたいという気持ちほど強いものはない

 編集長の仕事は3年続けました。その間、いろいろなことがあったのですが、詳細はもうちょっと時間が経って時効になってから……。とはいえ、私のみっともない経験については誰にも迷惑がかからないので少し書いておこうかと思います。

 Webマガジンの創刊が決まり、日々更新する記事をどうやって集めるのか、キラーコンテンツになにを据えるのか、デザインは? 写真は? イラストは? 制作チームとの連携は? などなど考えることは山ほどありました。その頃は、人脈もほとんどなかったのでイチから人探しをし、金額交渉をし(相場もわからないのに!)、とにかく手探り。多少雑誌の仕事をしたとはいえ経験は浅く、ベテランのライターさんから「そんなことも知らないの?」と叱られることもしばしば。

 ありがたかったのは、H氏は余計なことは言わず好きなようにやらせてくれたこと。たぶんH氏は、私が「こうしなさい」と言われるとやる気をなくすタイプだとよく知っておられたのだと思います。放ったらかしにされて、「やっばーい!どうしよう!!」と追い詰められてからのほうががぜん頑張るタイプなのでした。

 企画会議で、目玉コンテンツの一つに、毎月著名人にインタビューをするというコーナー(ありがちですが……)を提案したときのこと、「それ、本当にできるの?」「毎月毎月、著名人をどうやって引っ張ってくるの」「どうしてもそれをやる理由は?」と問い詰められました。何か論理的な答えを求められているのだろうけど、そんなものはありません。ただ面白そうだからやりたいという私のミーハーな願望でしかなかったのです。
 どよーんとした沈黙を破ったのは私。
「そ、それは……、私がやりたいからです!!」
 まさに「窮鼠猫を噛む」とばかり言い放つと、H氏は破顔して言いました。
「だったらできるんじゃない? やってみたら」
 え? そんなんでいいの? 思わぬ展開にぽかーんとしていると、
「だって、やりたいという気持ちほど強いものはないから」
とH氏。なるほど。そう言われると「絶対やってみせる!」と闘志がわいてくるのでした。今思えば、H氏の思うツボだったのかもしれませんが……。

 そんなこんなで、華々しいプレス発表までしてwebマガジンはスタートしました。最初のPVは、1日200とか300。手をかけお金もかけたコンテンツがわずか300人にしか読まれていないのか……と愕然としたことを覚えています。3万人の目標を掲げた購読会員も、なかなか増えない。じりじりと苦しい日々が続いたのですが、会員数が1000の山を越えた頃からでしょうか、ぐいぐいとPVが上がり始め、会員数はあっという間に1万、2万と増えていきました。そして一時は「この業界では最大」と言われるほどのwebサイトになったのでした。