いしぷろ日記

童話の勉強会

月1回の勉強会「童話の学校」に行ってきた。
童話を書きたい、という人の集まりなので、今の私には直接関係ないと言えばないのだが、今回のゲスト講師が私の知人なので、久々にお会いしたいこともあり参加した。

ゲスト講師の方は、某出版社で、30年近く児童書の編集部に勤めておられる方。ベストセラーを何冊も手がけている。

印象に残ったのは、「作者の書きたいことと市場で売れるものは違う」という話。極論すれば、作者の書きたいことを書いていては売れない。ということ。

確かに本はなかなか売れないというが、「書きたいものを書いて売れる」という人もいると思っていたから、ちょっと衝撃。売れている人は、今、世の中で何がウケているのか、ちゃんと考えて、売れるジャンル、売れるテーマで、売れるように書いているということか。

また、本、とくに児童書や絵本は、きわめて戦略的に作られている、ということ。作家が原稿を持ち込んで、それに画家が絵をつけて、という作り方ではなく、最初からどういうものが受けそうか、編集者、作家、画家でよく練り上げ、それを本にする。PRも綿密に計画された中で行っていく。本作りは、作家の個人作業ではなく、共同プロジェクトなのだ。

持ち込み原稿が本になるケースはほとんどない、と言われるが、その話を聞いて納得した。

だいたい、書店に行って本を買う、という人は、今や多数派ではない、という意味では「オタク」に属する、という指摘にも新鮮な驚きがあった。そうだよなー、だから本が売れていないわけだし。でも、「オタク」な人ならば、いいもの、気に入ったものは必ず買うわけで、そこにヒットするものを作れば、出版不況といわれる時代でもちゃんと売れるのだ。

結局、物書きを目指す人にとって大事なことは、「いい文章が書ける」というより、時代を読む目、そして運。だから、文章力をつける勉強をするくらいなら、運をつける努力をしたほうがいい、と講師さん。

そうか、運ですか。笑ってしまった。
でも、それってありかも知れない。

あの本が見つからない!

 私と同年代なら、子どもの頃、少年少女文学全集の類に読みふけった覚えがある人も多いだろう。
 読書が私の唯一の娯楽(唯一は大袈裟か。マンガもTVも好きだったし)だったが、ドドド田舎に住んでいたので、近くに書店も図書館もなかった。で、一番嬉しいお土産は本。いつも本には飢えていた。

 そこへある日突然我が家にやってきた、少年少女世界文学全集。1冊1冊がかなり分厚く、文字も小さくて「うわ」っという威圧感があったが、読み出すと面白く、何度も何度も読み返した(だって他に本がなかったから…)。挿絵も一流の画家の手によるものだったと思われるが、田舎の子どもにとっては、胸がドキドキするような刺激だった。こんな絵が描けるようになりたい!と、カラーの口絵をよく模写したものだった。

 大人になり、自分の子どもに本を読んであげるようになると、自分が子どもの頃に感動した本をついつい選んでしまう。子どものため、というより自分のために随分絵本を買った。何十年も前に気に入って愛読した絵本が、いまだ健在で容易に書店で見つけることができる、ということに驚き感動したものだが、児童文学となるとそうはいかない。

 昨日なぜか、少年少女世界文学全集の中にあった「町からきた少女」をむしょうに読みたくなり、アマゾン.comで捜したのだが、在庫なし。更に調べると、復刊ドットコムで、復刊の投票待ち、という状況。なんと!あれほどの名作がもう手に入らないのか!!!と衝撃を受けた。さらに、もう一つ、とっても好きだった「100まいのドレス」を検索してみたが、探し出すことはできなかった。そんな!!

 では、「小人の鼻」は?「ビーチャと学校友だち」は?「星のひとみ」は?と不安になって次々と検索してしまったが、それらのほとんどが入手不可能だった!

 私は本をよく買うほうなので、すぐに部屋がいっぱいになり、定期的にブックオフにどさっと売り払ってしまう。もう一回読みたくなったらまた買おう、くらいの気持ちだったのだが、本当に好きな本は絶対手放してはいかんなあ、という気になってきた。

 特に、子どもの本はすごくかさばるけど手放せない。自分が大人になってから、「あのとき好きだった本、もう一回読みたいけど、なんていうタイトルだっけ」と、捜すのに苦労したので、わが子にはそんな思いをさせまい、と思っている。子どもにとっては大きなお世話かも知れないんだけれど。

童話の学校(つづき)

「暗い」と酷評された作品を書き直して、再度勉強会に参加。
とってもいい、というご感想をたくさんいただき、大変ありがたく思う。

今回の会では、Y氏から、ファンタジーを書く場合の定型スタイルとか、物語を成立させるためのテクニックとか、ためになる話をたくさん聞いたので忘れないようにメモっておこう。

1)桃太郎の3人の家来は、分裂した3つの自己。このパターンは、他の話でも大変よく見られるパターン。

2)ファンタジーの主人公には何か異能力が必要。それがあるからこそ、読み手が作品世界に入っていくことができ、その世界の中で遊ぶことができる。

3)物語には必然性のある伏線が必要
  たとえば、主人公が旅をするとして、その旅は何のための旅なのか。

4)読者の想像を裏切る結末を

5)一度は、物語を成功させる定型パターンを知った上で書き、
最後にそれを壊す、という作業が必要。それが勇気のいることでもあり難しいことでもある。

童話の学校

ちょっと前の話になるが、
先々月、知人の誘いで、「童話の学校」というのに参加した。
池袋某所で、夜、お茶とお煎餅をぽりぽりやりながら、
各自作品を持ち寄り、合評会をする、という会らしい。
私が始めて参加した日は、ちょっと面白いゲストスピーカーが来るということもあって参加したのだが、驚いたのは、20名ほどの参加者のほとんどすべてが、童話や児童文学の名のある賞の受賞歴のある人か、絵本や童話の出版歴のある人だったということ。更に驚いたのは、にもかかわらず、私はその中の一人として名前を聞いたことのある人がいなかった、ということ。
それだけ、この世界で、名前が知られて食べていくことが難しい、ということなんだろう。

主催者のY氏もすでにかなりの冊数の童話を出版しているが、告白すると、それらのうち1つも読んだことはないばかりか、書店で見かけたこともないかも。が、Y氏は、学生時代、あの「王さま」シリーズの寺山輝夫氏に師事したことがあるという。すごい。ちょっとうらやましい。

で、私が参加したのは、ちょっと子ども向けというか子育て母向けの雑文を書いたものがあって、それをY氏に見てもらったら、童話の集まりがあるからそこで見せたら、ということになったからである。
まさか、そんなすごい人たちの集まりと知らず、ぼーっと参加したのだが、いきなり、みんなの前で自作を朗読することになり、しかも「暗い」とのしごくもっともな(でも厳しい)指摘され…。
が、くれぐれも作品批判を人格批判と取り違えて落ち込まないように、とのY氏の温かいフォローに救われ、書き直して次回に臨むことに。
その後の経過はまた後日。

読み聞かせボランティア

子どもの学校で読み聞かせのボランティアを初めて4年になる。
最初は一番上の子が4年の時。ぜひやらせて欲しい、と担任の先生にお願いして、一人でスタート。すると、他にもやりたいという親たちが同じクラスで数人でてきて、子どものクラスだけだが1年続けた。
翌年は、子どもは5年になっていたが、5年全クラスでやって欲しいという先生たちの依頼があり、有志数名がちょっと組織的なグループに成長。その翌年は、全学年でやって欲しい、という依頼があり、メンバーは20数名のそれなりの規模のグループとなった。

欲を出せば、勉強会を開いたり、外部へも遠征したり、活動の幅を広げられるのだろうけど、仕事と両立できる程度にのんびりやろう、と自らに歯止めをかけている。のんびりだから参加している、という親たちも多いだろうし。月1回の読み聞かせと、読み聞かせ通信発行のみの楽な運営。

読み聞かせはとっても楽しい。最初は、自分の子が学校でうまくやれているだろうか、という偵察も目的としてはあったが、今は純粋に、子どもたちに喜んでもらえることが嬉しくて通っている。
高学年の子には、うけるかなー、と最初は心配だったが、絵本や紙芝居はどんな子どもでもみんな大好きなようだ。

いまどき、どんなにいい学校でも、不登校もあり、いじめもある。でも、読み聞かせを聴いているときの子どもはみんな、とっても子どもらしくかわいらしい。一生懸命聞いてもらえるから、次もいい本を選んでこよう、とはりきってしまう。