いしぷろ日記

荒れていた長男、立ち直る

masa

荒れていた息子は気をとりなおし、朝6時に起きて30分だけ勉強をすることを再開した。彼の場合、長時間の勉強は向いていない。先週末、30分だけ毎日学校の宿題以外の勉強をすること、「勉強しなさい」とは言わないから自分で起きてやること、たったそれだけのことができないなら、私立中学はあきらめること、その3点を約束した。とりあえず、昨日、今日はできたようす。

学校の先生をいろいろ批判するのは、単に受験のストレスの矛先を先生に向けているだけのこと、逃げであり甘えである、ということに自分でも気づき、すっきりした顔で今週はスタートした。

子どものことだから、ちょっとしたことで、立ち直ったり落ち込んだり。この先また沈むこともあるかもしれないが、見守るしかない。

小2の次男は、悩んでもせいぜいレアカードをどうやって入手したらいいか、とか、トカゲをどうやって収獲するか、とかそんなことばっかりで、話しているととても癒される。

スポンサーサイト

近況まとめて

気を抜くとあっという間に前回の更新から2週間が経っている…
忙しくて、子どもの話も上の空で聞いているし、PTAの役員たちがあまりに有能なので全部お任せにして、あまり学校にも顔を出していない、ちょといけないなーと思っていた矢先、
長男が学校で荒れていることを知らされた…。

授業中に全く集中しない、誰かが騒ぎ出すとすぐ便乗する(自分からは騒がないというのがせめてもの救い)など、目に余るので担任が「そんなにやる気がないなら自分の家に帰って好きなことをしたら」と言ったのを真に受けて、ランドセルをしょって教室を出たという。校長先生に見とがめられ、軽く注意を受けたらしいが…。授業中に「家に帰ったら」と言ってしまう先生ってどうなのか、という批判はあるかも知れないが、私にとってはただただカワイイ息子が、学校でそんな小憎らしい態度をとっていた、ということにショックを受けた。私はこの子のことを何も知らなかったのかも知れない。。

一番に考えられるのは受験のストレス。もともと勉強が嫌い、じっと机に向かうことは苦痛以外の何物でもない、絶対受験には向いていない、と思っていた長男本人が「公立には行かない」といって始まった受験勉強。自分で言いだしたことだし、周囲にもいまさら恥ずかしくて、「やっぱやめる」とは言えない状況。難しい学校は受けないけれど、どんなに偏差値の低い学校でも、受験テクニックを学ばずして合格はありえない。勉強は嫌、でもやらなければ合格できない、という最大のジレンマに悩んでいる。そのストレスから学校で荒れているのかも。。

担任の先生と相性が悪い、ということは今までもあった。でもよく話し合ううち、最後は「とってもいい先生だったね」という関係になるに至ってきた。だから今回も時が解決すると思う。私も心を入れ替え、なるべく学校に行って先生とコミュニケーションを取ろうと思う。万一に備え、保健室の先生にも、何か様子が変だったら教えてほしい旨伝えておいた。

とにかく、問題があったら真正面から立ち向かう。子どもの問題は特にそうだ。精神的には悩むしすごく疲れる。

仕事も忙しい。のっているときでも夕食の時間になると無理に中断して食事の支度をしなければならない。なんかそれが最近すっごく嫌。仕事の時間が絶対に足りない。家事は放棄したい気分。が、そうもいかず。私もかなりストレスいっぱいなんですけど…。それが長男にシンクロしているのか、、?

絵本とはなにか

5月から、ある大学で、山崎翠先生の「子育てに絵本を」という講座を受講している。昨年、山崎先生の講演を聴く機会があり、大変感動したので、この講座の情報を聞いて飛びついたというわけだ。
絵本の読み聞かせは、ただ好きで何年もボランティアを続けてきた。自分が本を読むことが好きなので、子どもたちにその楽しさを少しでも気付いてほしい、という気持ちがあったし、子どもたちが食い入るように本を見つめ、本の世界に入っている、その表情を見るのがただただ楽しくて続けてきた。

が、山崎先生の話を聞いていると、絵本を読むってそれだけではないのだ、ということがわかってきた。

人は言葉でものを考える。言葉が乏しければ、思想も貧困になる。ゆたかな言語体験をするのに絵本はとても重要な役割を果たす、と先生は言う。登場人物に感情移入して、感動したり、怒ったり、泣いたりすることで、「悲しい」とか「辛い」という言葉の意味を、実感を伴って理解することができる。感情や感性も豊かになる。

いつもは読み聞かせをする側だが、たまに、人に読み聞かせをしてもらうこともある。すると、まったく思いがけないことだったが、絵本の世界に引き込まれて、思わず泣いてしまう、ということがしばしばある。絵本の筋はけっこう単純なものだし短いものだが、聞いているうちに、自分の似たような経験や、心の奥底の記憶が呼び覚まされてしまうのだろうか。自分で読むときには到底感じないような、深い感動におそわれることがある。そういうとき、絵本のすごさ、読み聞かせのすごさを思い知らされる気がする。

読み聞かせはヘタだから、子どもが聞きたがらないから、と読み聞かせをしない人は結構多い。なんだかもったいない気がする。

私の子どもたちはみんな、どんなに眠くても読み聞かせをひとつしないことには眠らない。本当に眠くてたまらなくなっても「目をつぶってても聞いてるからちゃんと読んでよ」と往生際が悪い。もちろん、1分後には眠ってしまっている。一番上の子のときからだから、私はもう十何年も毎晩読み聞かせをしている。どんなに忙しく、辛い一日でも、読み聞かせのひとときは私にとっても一日で一番幸せな時間だった。子どもが大きくなると、だんだん読み聞かせを喜ばなくなっていくのでさびしくて仕方がない。

山崎先生が言っていた話だが、ある人が、中学生の娘さんから、小さいときによく読んであげた『いいこってどんな子?』を読んでと突然言われて、読んであげたら、「元気が出た、ありがとう」と娘さん。後でわかったことだが、その子はずっといじめにあっていた。でも、絵本の中の「おかあさんは、今のままのあなたが一番すきなんですもの」という言葉に、その子は救われたのだ。こういう話を聞くと泣けてしかたがない。絵本を媒介とした、母と子の絆がこの親子にはあったのだな、と思う。