いしぷろ日記

ざりがにとり

一昨日、長女がカナダのホームステイに出かけるのを見送った。成田への見送りは一日がかり。
昨日は、下の男子たち二人と、近所の小川にザリガニとりに行った。この町は、最近急速に宅地化が進んでいるが、まだまだクワガタやカブトムシが取れる雑木林があったり、小魚が採れる小川があるのが好き。

さて、スルメをタコ糸の先にしばりつけた手作りの釣り竿で、ザリガニがとれること、とれること。
20数匹も採れ、全部飼いたいというものだから、家にある水槽では間に合わない。夫が水槽を買いに走り、小石や植木鉢の古いので、適度な隠れ場所ができるようなザリガニのすみかを作った。

泥だらけのバケツから、きれいな水槽に移しかえられたザリガニは、気持ちよさそう。すぐに、それぞれのお気に入りの場所を見つけ、じっとしている。植木鉢の中にいるやつ、プラスチックの水草の上に乗っかっているやつ、親ガメの上に子ガメが乗って式に、何段にも重なっているやつ、ハサミを振り上げてポーズを取っているやつ、などなど。

思い思いの場所で好き勝手にしていたかと思うと、突然、一斉に同じ方向を向いてじっとしていたり、そのうちの一匹だけが反対を向いて、生徒と先生、みたいな体制になっていたり、見ていると飽きない。ごそごそ動いているのに、私が近くによると、全員がぴたっと止まって、まるで「だるまさんがころんだ」状態だったりするのも笑える。

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近況まとめて

この一週間は、PTAやら取材やらで忙しく過ごした。
ゲスト講師で2つほど授業もしたが、1つめが大失態。もともと荒れたクラスとは聞いていたが、最終的に、教室はもう動物園状態。やってしまった?、という感じ。

最初は、机につっぷして寝ている人がいようが、はじめから全く参加する気がなく、しゃべっている人がいようが、気にせずいこう、と思っていた。ほかにもそういうクラスはあったし。でも、彼らを、あたかもいない人のようにふるまうのは、自分の仕事に対して不誠実ではないのか。時間をかけて準備もしてきたし、私だって真剣にこの仕事に取り組んでいるのだ、まったく聞こうとしない態度は失礼ではないか。彼らの将来のためにも、きちんとダメなものはダメと言ったほうがいいのではないか、と思い、ブチ切れてみた。「真剣に仕事をしている人に対してあなたの態度は失礼なのではないか」と。

が、私は忘れていた。信頼関係ができていない段階でそれをやってしまったら、子どもの心は完全に離れてしまう、ということを。どなられて、一瞬は驚いた彼らだったが、その後、ますますひどくなった。こっちも、怒りがあとからあとから湧いてきて、「静かにしろって言っただろう、いい加減にしろ」と汚い言葉でさらにどなってしまう。あとはもうめちゃくちゃ。ぼんやり立っているだけの担任にも腹が立ってくる。口には出さなかったが、日ごろいったいどんな指導をしているのか!?と聞きたくなった。

今思い出してもむかつくが、私の敗北。

その翌々日の授業は、教員相手だったので、荒れる心配はないのだが、とても自信たっぷりに立ち向かえる気持ちにはなれず、気力を無理やり高めつつ、なんとかこなしました、という感じ。

彼ら、あのまままともな社会人として巣立っていくことができるのだろうか。先生がたも、普段、彼らをいないものとして授業を進めているのだろうか。あのままでは、就職してもちゃんと働けるかどうか。今の段階で、なんとかしてあげないといけないのではないか、あきらめたら終わりではないか。
思い出すだけでも腹立たしい出来事だったが、彼らのことが頭から離れない。

同時に、学校で授業に参加せず、ノートもとらず、ぼーっと時間を過ごしているという長男のことを思い出した。長男は、率先して授業中に騒ぐことはしないらしいが、彼がこのままの状態で中学生になったら、あの荒れたクラスの彼らと同じではないか。
長男には実は結構苦労している。日々の仕事や生活が忙しく、気持ちに余裕がないときは、「もう、どうにでもなれ」と見放したくなることもある。が、見放されたら、子どもは荒れるしかない。それだけはさせてはならない、と思って踏みとどまる。そんな毎日を繰り返している。

だから、あの彼らのことを考えると複雑な気持ちになる。なんとか、一つのことに打ち込んで、小さなことでいいから達成するという経験をしてほしい。そして、それをきっかけに、変わってほしい。そう思う。が、一方で、そんな学園ドラマみたいにうまくいくだろうか、私に「死ね、帰れ」と言ったときの彼の目には、子どもの無邪気さなど一片もなく、憎しみに満ちていた。あの子を変えることなどできないだろう、とも思う。この先、またあのクラスには、あるプロジェクトのために行かなければならないのだが、なんだかとんでもない泥沼に入っていくのではないかと不安になる。