いしぷろ日記

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市民ライター講座

小平市で市民ライター講座の講師を務めさせていただいた。全2回の講座が終わってほっとしている。参加者の中には、結婚・出産で引退するまではライターだった、とか、現在も子育ての合間にライターをしている、という方もいらして、すでにプロの方相手に、満足いただける講座ができるかちょっと心配だった。
なので、10年来の知り合いの、近所のママライターのOさんにヘルプをお願いし、2人のユニットで講師をさせていただいた。
Oさんと知り合ったのはかれこれ10年も前のこと。私が、2人目の子を出産したばかりで、まだまだライターとして食べているとは言えなかったころのこと。市の広報誌で市民ライターの募集があり、タダでもいいからライターの仕事がしたい、ととびついたのだ。その時に集まった6人のメンバーのひとりがOさん。市民ライターの仕事は1年の任期で、解散後、Oさんとは、年賀状と時々駅でばったり会う、というくらいの付き合いだった。
が、結果的にOさんのおかげで講座はとても盛り上がり、楽しく、有意義なものとなった。
私がいろいろと、取材の仕方、記事の書き方、などを説明したあと、Oさんに補足をお願いする、というパターンで進行したのだが、Oさんの、「石井さんはこう言いましたが、私の場合はこういうふうにやっています」というように、全く違うやり方を披露してくれたのがよかった。
考えてみれば、別のライターさんの仕事を見る機会はあまりないが、確かに、取材のときのメモの取り方、原稿のまとめ方、ひとつひとつ、ひとによって違う。私のやり方だけで、「こうやります」と教えるより、「こんな方法でもいいですよ」と言ってくれたほうが、聞いているほうは、「要するに自分なりのやり方でいいんだな」と安心できるのではないだろうか。

そんな感じで講座は進み、1回目の最後に「身近な、憧れる人を取材してくる」という宿題を出した。で、2回目の日、全員が、ちゃんと宿題をやってきたのには感動した。1週間しか猶予がなかったので、電話取材という人も多かったのだが、「相手が引き受けてくれるかドキドキしながらお願いした」とか「身近な人でよく知っていると思っていたのに、取材してみると、全然知らない面が見え、改めてその人への尊敬の念が湧いてきた」とか「最後に、いろいろ聞いてくれたおかげで、自分の考えがまとまった、と感謝された」などの感想をいただいた。

私も最初の取材の日のすんごくどきどきしたことを思い出す。
ライターで大事なのは文章力より取材力。アポをとって、取材に出かけるまでのどきどきを乗り越えないことにははじまらない。みな、その最初の大きな壁を乗り越えたのだ!!

その後、取材メモを見ながら、どんなふうに記事を書くか、誌面構成を含め、実習した。仕事によっては、編集部できっちり誌面構成されたものに対し、ライターは指定の行数で原稿だけ書く、ということもあるが、誌面構成も含めてライターに丸投げ、という場合も多い。誌面構成までできるライターさんのほうが重宝されるし、仕事としても、そっちのほうが面白い。というわけで、誌面構成までやってみた。

みんな頭を悩ませながらも真剣に取り組んでくれた。そういう姿を見るとこちらもうれしいし元気が出る。

時間内に完成はできなかったが、このままでは惜しい。なので、MLでやりとりして、最終的には簡単なレイアウトをして文集的なものを完成させることにした。

ライターにとって、雑誌なりwebなり、自分の記事がレイアウトされて、できあがったものを見るときが一番うれしいときかもしれない。途中、どんなに辛くても、またやりたい、と思えるのも、この喜びがあるからだ。その思いをぜひみんなにも知ってもらいたい。

最終的な記事が集まるのがとても楽しみ。

講座の様子はこちらでもご覧いただけます!
http://blog.livedoor.jp/mystyle_kodaira/archives/2008-09.html#20080917

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投げ出したくなるとき

先日、TV番組で、突然辞意を表明した福田元総理について、街の人々に意見を求めるコーナーがあった。印象に残った意見は「周囲みんなに批難されたら、投げ出したくなる気持ちはわかる。彼はとても孤独だったのでは」というものと「私だって仕事をして、家事育児も全部して、そんな毎日を投げ出したくなることはある。でも、投げ出すことはできない。投げ出せる人はまだ幸せ」というもの。
どちらの意見も、我が身にあてはめて、身につまされる思いがした。

毎日の仕事、主婦業、確かに投げ出したくなる。せめて、感謝の言葉とか、ねぎらいの言葉があれば耐えられるが、やってあたりまえ、というのが主婦業に対する大方の認識だ。ああ、孤独…。でも、投げ出すわけにはいかない。

家族というのはチームだと思う。メンバーは一人として欠けてはならない。夫か、私か、どちらかが仕事を辞めてもたちまち生活は困窮する。私が主婦業を放棄したら、たぶん子どもたちはたちまちジャンクフードづけ、部屋も荒れ放題。夫が家のメンテを怠ったら、電球のとっかえもままならない。こんな生活疲れた…と思っても、投げ出すわけにはいかない。続けるしかないのだ。

わかっていても、すごくつらーい、と思うときがたまにある。そういうときは、発想を転換する。きっかけは本であることが多い。自伝とかエッセイとか。「へー、そういう考え方もあるのか」「なるほど、そう考えれば前向きになれるよね」というように。

最近の雑誌に、母娘の対談があったのだが、ずっと子育てを母親に支援してもらいながらキャリアを築いてきた娘が「お母さんは、自分よりも子どもや孫が一番の人だものね。相手が喜べば自分もうれしい人よね」と言うのが印象に残った。

相手がよければ自分もよし、私にはまったくない発想。ついつい、家事を抱え込むと「なんで私ばっかりこんなに大変なの?」と思ってしまう。「大変だけど、がんばってご飯を作ってみんなが喜んでくれたらそれでいい」と思えば家事も楽しいのだろうけれど、そう思うには、私はあまりに未熟。心にゆとりがなさすぎる。

ああそういえば、亡くなった義母がまさに、最期まで、相手がよければ自分もよし、の人だった。

近況

義母が亡くなった。
お正月に、疲れやすくなったと言っていたと思ったら、2月には癌の宣告。しかも1年後の生存率0パーセントというすい臓ガン。3か月か、せいぜい半年、と言われ、もう夏休みに帰省しても会えないのか、と思うと信じられなかった。

私の父はもう20年以上前にガンで亡くなっていて、その時は病院に何日も泊まり込みで看病したが、そのころとはずいぶん治療法も変わっていた。
義母は、緩和ケアで有名な病院に入院し、病院の指導を受けて、できる限り長く自宅で療養生活を続けた。最後の1か月は病院に入り、結局家に帰りたいという希望はかなわぬまま、病院で亡くなった。ガンで亡くなる人の最期は、激痛に苦しみながらの死というのが普通だったけど、緩和ケアでは、痛みどめを使い、なるべく苦痛を与えないようにして最期を迎える。しかし、痛みどめとは結局モルヒネなので、あまり使いすぎると意識がなくなり、最期の言葉を聞くこともかなわない。
カナダ研修中の初孫の長女が帰国するまではがんばる、と言っていた義母は、長女に再会し、その1週間後、眠るように亡くなった。

それからあっという間に2週間が過ぎたけれど、まだ信じられない気がする。
私とは全く違うタイプ、理解し合うということはありえない義母だったが、
とにかく、だれにでもとても優しい人だった。

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