いしぷろ日記

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自立の苦しみとは

土曜日、山崎翠先生の絵本の講座に行ってきた。
今回のテーマは「昔話と心の自立」

「3びきのやぎのがらがらどん」
は、何を意味しているのか。

人間には第1次?第3次の反抗期がある。
谷にかった橋を渡り、山に登ってふとろうとしている
1番目のやぎ、2番目のやぎ、3番目のやぎは
それぞれ、第1の反抗期、第2の反抗期、第3の反抗期を
乗り越えようとしている子どもたちを表している。
橋の下でやぎたちを脅す大きなトロルは、
親であり、社会であり、子どもたちが越えなければならない
壁である。

1番目、2番目のやぎは、まだ小さいので見逃されるが、
3番目のやぎは真っ向からトロルと戦い、勝利する。
そして、意気揚揚と橋を渡っていく。

3番目のやぎ、つまり子どもは、
最後の反抗期を乗り越え(橋を渡り)、
親離れし、大人になっていく(山でふとる)のだ。

よく「読み比べ」の題材に使われる「3匹の子ぶた」は、
原作では、最後にオオカミは、レンガのうちを建てた子ぶたに
鍋で煮て食べられるのだが、残酷すぎるという理由で、
殺されずに森に逃げていく、という話に書きかえられた。
(今の若い人は、書きかえられた話のほうしか知らないかも知れない)

しかし、あの狼も、反抗期に立ちはだかる壁の象徴であり、
最後に殺されなければ、子ぶたは大人になれないのだ。
そもそも、自分で食べていけるようになりなさい、
と母親から世に送りだされるところから
あの話は始まるのだから。

思春期の、「なんだかわからないけどむしゃくしゃする」
という時期は、子どもにとっては大変な苦しみの時期なのだ。
だが、それを越えなければ大人になれない。

今の子どもたちは、大人たちに、いい子でいることを強いられ、
偏差値教育でおさえつけられ、
反抗期を存分に苦しみ、乗り越える機会を失っているのではないか。

最近の、「いい大人がなぜ」と思うような理不尽な事件は、
きちんと反抗期を乗り越えることなく大人にならされた
不完全な大人が起こす悲劇なのではないか、というのが山崎先生の見解だ。

講義の間、学校で荒れている長男のことを思わずにはいられなかった。
長男も苦しんでいる。そして、その苦しみは必然のものなのだ。

そう思うと、

これは彼らにとって必要な過程なのだ、とわかったうえで
悪者を演じるのならいいけれど、
本気になって、子どもたちの騒ぎを止めようと
かけずりまわっている大人たちの姿は
こっけいでしかないのかも知れない。

これ以上やったらいけない、というところは押さえながら
鷹揚に構えていればいいのだ。

彼らはきっと壁を越えられる。

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