いしぷろ日記

退きどき

佐藤愛子さんの
「まだ生きている」
というエッセイを、面白くて一気に読んだ。

82歳という年齢でありながら、全く古臭さを感じさせない。
常に何かに怒っている、というのが持ち味の作家さんだが、
なんだか怒るのも面倒になった、死すら馴れ親しんでしまった、
という力の抜けぶりがよかった。

冒頭の「退きどき」という一文はなかなかに考えさせられた。

定年というものを持たないフリーランスには、
身につまされる話だ。

世の中のニーズと自分の仕事の間にギャップはないだろうか、
発注主の期待に応える仕事ができているだろうか、
自分で冷静に見る目を持ち、
ダメかも、と思ったら、相手がそっと去る前に自分で引退しなければ、と思う。

黙って去られる。何よりそれが怖い。
そう思うと、
ここがこうダメです、と言ってくれる人は本当にありがたいし、
そういう人がいるうちは、まだまだ続けていいということかもしれない。

ところで、
今、ある本を編集中だが、
いまどきの若い人は、出版社で編集者として勤務する人でさえ、
文字を読まない、ということで、
原稿を削りに削る作業が続いている。

なるべく改行を多くし、1見開きに、小見出しを何本も入れて、
余白をたくさんにし、なおかつ、話の区切りごとに、
囲みを入れて、短い言葉で総括する。

ページの頭から最後まで読まなくても、だいたいの要旨が
つかめるようにするわけだ。

ページ数をふやすと印刷コストが上がってしまうので、
ふやすわけにはいかない。
同じページ数で、それだけ改行やら小見出しを入れたら、
本文をけずるしかない。
すでに推敲を重ねて、無駄のない原稿だと思っていたので
なかなか辛い作業。

でも、連日この作業を続けていると、
他の雑誌や書籍の長文が気になるようになってきた。

若い人に限らず、やはり短くてわかりやすい文章が
いいのは間違いないかも。

良質の小説やエッセイなどを読んでいると、
その世界に浸っていることが心地よくて、
このまま読み終わりたくない、と思うこともあるが、
私が書いているのは実用書だから、
行間の含みも、伏線も、遠まわしのエピソードもいらない。
短くて、わかりやすいに越したことはないのだ。



スポンサーサイト