いしぷろ日記

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留学生、旅立つ

昨日、わが家の留学生くんは、京都に向けて、東京駅を出発しました。
一家そろって、車で東京駅まで見送りました。
他のファミリーたちも見送りに来ていて、そこここで涙の別れが。。

一昨日は、Aryoくんの最後の滞在だったのですが、
Buddyの長男は、サッカー部の試合に出かけ、Aryoくんのアテンドができない。
で、長女と次男が、協力してくれて、Aryoがぜひ行ってみたい、と言ってたカラオケに
つれていってもらった。
なんかすごく盛り上がったらしい。
やはり、子どもは子ども同士が一番だね。。

最後のDinnerは、すき焼き。
うちではめったに食べない高級和牛をどっさり買ってきた。
生卵は苦手かと思ったら、意外にトライしてみる、とAryo。ただし自分で割れないというので
長男が割ってあげた。
さて、最初の一口を食べたAryo、「チョーうま?い!これ、何の肉ですか!?」
とマジ、びっくり顔。
beefだけど、日本のはちょっとアメリカのとは違うと思うよ。
アメリカでしゃぶしゃぶは食べたことがある、と言ってた彼だけど、
それはきっと和牛ではなかったんだね。

そして、食後、Aryoくんに日本のお土産をいろいろとわたした。
定番のお箸とか、浮世絵のポストカードとか、扇子とか……。
最後に、夫から、「日本に来るときは必ずうちに寄るんだよ」と
わが家の合いカギを。
「え、これ、ホントですか。うそ?」(もう、完全に日本人の日本語だね)
とAryoくん、がばっと立ちあがって夫にハグ。
昔堅気の夫もおもわずウルウル。。

なんて素直でいい子なんだろう。
14人やってきた留学生の中で、一番人気だったらしいイケメンのAryoくん、
心根もすっごく素直で、何ごともポジティブで、本当にいい子でした。

この1週間、家族みんなが、留学生中心の生活で、気を遣ったり不自由したこともあったけど、
彼が去った今、なんか心にぽっかり穴があいたようです。

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Aryoは堀北真希が好き!?

昨日、長男が部活で帰れないので、学校までAryoを迎えに行きました。
一人で帰れるとは思うけど、万一何かあったら…。ホストファミリーの責任は重大。

さて、Aryo君は学校内にたくさん顔見知りができたみたい。
すれ違いざまに「Hi」と挨拶していく子多数。
ダンス部の練習を少し見たい、というので付き合う。
「おもしろい」と言って見ている。

君のヘアスタイルはジャスティン・ビーバーを真似しているの?と聞くと、
「え?、大嫌いでーす!」
理由は「だって女の子みたいじゃないですか。みんなmake funしていますよ」
なるほど。

じゃ、どういう人がカッコイイの?と聞くと
ブラピとか、マッド・デイモンとか、ジョージ・クルーニーとか。

ふーむ、じゃあ、アクトレスでは誰が? 
「ぼく、堀北真希大好きでーす。あと戸田恵梨香とか?」

なんでそんなの知ってるの!?と聞くと、
「だってドラマいっぱい見てるもの!花より男子とか、、」

と、有名どころのドラマをつらつらと。
そうなんだ?。彼は嵐も知っていた。
日本人の高校生とあんまり変わらないくらい、何でも知っている。
そうか、これがグローバル時代ってことなんだね。
ちょっと感動しました。

留学生滞在4日目

今日も無事、長男と留学生のAryoを送り出しました。

昨日帰宅した長男によると、Aryoは学校でも人気者で、
日本語でギャグを連発するなど、意外にヒョウキン者らしい。

「日本のエロ本買いたいでーす、あ、でも、やっぱうそでーす」とか、
「日本の女の子、チョー可愛いでーす」とか、
あ、フツーの男の子なんだ、という感じ。(私の前ではこういうこと言いませんが、長男の報告によると)

初日は大人しくふるまっていたんだね。

昨夜の夕食は、ハウスバーモントカレー、甘口。
これは、昨年のオージー君もペロリだったので、
日本食に疲れた3日目くらいに出そうと思っていたのです。
やはり、Aryo君も、「おーいし?!」と一気食い。
すごいぞ、バーモントカレー。

食卓で、彼がこれまで住んだ各国の話になった。
彼が生まれ育ったスウェーデンは冬は寒いが、夏は美しくて「Perfect!」とのこと。
アメリカは、みんなフレンドリーでOpportunityがたくさんある。大好き!と。
日本も大好き!
電車で通学するのは面白い(アメリカは自動車通学・通勤が普通だから)
のだそうです。

日本では、ようやくライフワークバランス、という言葉が聞かれるようになったけど、
お父さんが8時9時に帰宅するのは当たり前だよ、というと
え?、とびっくりして、「うん、日本人、疲れているように見える」と言っていました。
ちなみに、彼のお父さんは、何時に帰宅するの?と聞くと、
「よくわからない。パソコンで、家で仕事をしていることもあるし、会社に行くのも帰るのも自由だから」
とのこと。職業は製薬の開発をしているらしい。
在宅勤務がごく普通に行われているんだね。スゴイ。

今朝、朝食時には、ワールドカップの話題がメインになったが(日本、予選通過!おめでとう!)、
アメリカでは、アメフトとかバスケの話題がメインで、Aryoはサッカーはよく知らないらしい。

ようやくうちとけて、いろいろ話ができるようになってきたけれど、
ホームステイももう終盤。
明後日の朝には、関西方面に向けて、修学旅行に出かけてしまう。
ちょいさびしい。

留学生到着!

カリフォルニアから、やってきました! 留学生のAryo君。

昨年のオーストラリア人と違って、
細い!!!でも、靴が、日本では見たことがないほどでっかい!という点は同じ。
しかも、日本語が、かなり上手。全部日本語でも大丈夫なくらい。

聞いてみれば、日本が大好きで、学校の授業でも日本語を習っているほか、
どこかの教室で週1回習っているらしい。

事前にもらった資料では、好きなことは哲学、経済学、心理学、と
ちょっとインテリな香り。
わが家のアホ息子で対応できるのだろうか、と不安に思っていたが、
ガリ勉くんというふうでもなさそう。
ゲームは大好きだし、日本のアニメもよく見ているらしい。

行きたい大学は? と聞いたら、ハーバードか、ケンブリッジか。
でもすっごく難しいから…。それでも、せめてUCLAかバークレーくらいは行きたい、
とのこと。

賢いんだね。うちの子は勉強が大嫌いでさ?、と言うと、
「ぼくも勉強は嫌いです?」と。
結構普通の子かも。ちょっと安心。
日本の家庭と同じで、ゲームばかりしているとマミィに叱られるとか。
すべての科目で100%の成績がとれればやってもいい、と言われている、
というのがわが家と違うところか…。

そして、私の最大の悩みのタネ。夕食だが…。

まず、お味噌汁、オッケー!
ごはん、オッケー!
春巻き、オッケー!
豚の角煮、オッケー!ただし、煮玉子はダメだった(これは昨年のオージー君も)
ポテトサラダ&グリーンサラダはNGでした!

ふう、昨年のオージー君の「しょうゆは一切ダメ」宣言には困ったが、
Aryo君は大丈夫みたい。
「日本が大好きなので、いろいろ食べてみたい!」と好奇心旺盛なので
こちらもやりがいがある。

ただ、思ったより少食。
スウェーデンで生まれ、15歳までヨーロッパ各国を転々とした彼いわく、
「アメリカ人は太った人が多いでーす。僕はそれ嫌いでーす」
それで少食? 日本食が(というかわが家の味が)合わないためでなければいいが。。。

翌朝、長男といっしょに登校。
びっくりしたのは(これはオージー君も同じだったが)、
彼ら、身だしなみに、とっても時間をかけるんです。
洗面所にはいろいろなローションがずらり。。

寝癖をちゃちゃっと直しただけの長男は、まだかまだか、って感じで待っている。
ようやく、現れたAryo君、う?む、ジャスティン・ビーバーのようなヘアスタイル。
がんばってブローしたんだね。。

「行ってきまーす」

いい香りをぱぁ?と振りまいて、元気に出かけていきました。

Have a nice day!

留学生がやって来る!

来週、わが家にアメリカから留学生がやって来る!
年末の大掃除でもここまでするまい、というほどがんばって掃除をした。

昨年のオーストラリアからの留学生は、
長男と部屋をシェアしてもらって、二段ベッドに寝てもらった。

学校側は、そのほうが日本の生活に溶け込めるから、
むしろ専用の部屋はいりません、と言われていたので
真に受けたのだが、
よく考えると、日本の規格のベッドではおさまらないほど大きな高校生だった彼、
毎日足を伸ばして眠れた日はないんじゃなかろうか。

で、今年は、ふだん、私らの寝室兼子どもたちの室内サッカー場と
なっている和室を提供することにした。

しかし、押し入れを開けたとたん、中のものが雪崩、ということになると
カッコ悪い。で大掃除となったわけだ。
子どもたちの保育園時からの服やらお昼ね布団やら、よく今まで処分しなかったな、
と思うものがごろごろ出てきて、大きなごみ袋3つ分になった。

ああ、これでスッキリ。

座布団やら座卓を買ってきて、ぱっと見、旅館風な感じになった。
これなら、そうとう大きな外国人がきても、まあ快適かも。
洗面所やお風呂は狭いけどね。
それ以前に、家自体の小ささにびっくりされるだろうなあ。

まあ、それも日本の姿だから…。

さぬきうどんの忘れられない味

昨日、午前中は高田馬場で仕事、午後からは御茶ノ水で仕事。
間のお昼は、新宿で食べることにした。
ふらふらと引き寄せられたのは讃岐うどんのお店。

生まれも育ちも香川県の私。子どものころ、
外食と言えば必ずうどんだった(なぜならそれが一番安いから)。
たまには他のものが食べたい、
自由に自分のお金を使えるようになったら、絶対うどん屋さんには行くまい!と
思っていたのに。やはり讃岐の血がそうさせるのでしょうか、、。

が、それでも、以前は、東京でうどんを食べようとは思わなかった。
理由はもちろん、おいしくないから。
「讃岐」と銘打っているお店だから今度こそは、と入るのだが、
結局、なんかちがーう!と思ってしまうのだ。

でも、ひところの讃岐うどんブームのおかげで、かなりレベルが
上がっているかも、と期待して、食べてみることにした。

メニューはもちろん「ぶっかけ」。
カフェテリア方式なのだが、私の前にならんだおじさんもやはりぶっかけ。
む?彼も讃岐人か?
先にその人のうどんが来たが、おや、透明の上品なダシ。
あ、やっぱ違うかも…。そんなお上品なぶっかけは、ぶっかけじゃない!

私が今も忘れられない、生涯で一番おいしいとおもったぶっかけは、
小学校の持久走大会で、完走したときに配られた、ぶっかけうどんなのだ。
アルミの食器に、ビニール袋から出しただけのうどん。そこへ刻みネギをのせ、
しょうゆをぶっかける。それだけ。
なのに、すっごくおいしい!!!

おいしいと評判のうどんやさんに行くたびにあの味を期待するのだが、
ま、あれは、ブルマーで寒風の中走り切ったあとのごちそう、
というシチュエーションも多いに影響してたのかも。
今食べたら、なんだこれは、、という味なのかも
しれない。

で、結局、お上品なぶっかけの味は、
まあ、よくここまでがんばったよね、という感じでした。
かつての「東京で食べるえせ讃岐うどん」よりはぐっとレベルアップしてました。
コシはかなりあったと思います。
でも、麺はつやつやした半透明の麺であって欲しかったかな。

私の誕生日

昨日は私の誕生日だった。

仕事の帰りにケーキを買った。
平日なので凝ったごちそうを作る時間はないが、
ケーキぐらいは食べたいではないか!!

しかし、
自分の誕生日のために自分でケーキを買う…これは結構恥ずかしい。

「バースデーケーキですか?」
「はい」
「お名前を入れますか」
うわ?、そんなのいらね?、と思いつつ、とっさに
「は、はい」
と答えてしまう。

「お名前はなんと入れますか?」
「え、えいこ、と…」

「えいこちゃん、ですか? えいこさん、ですか?」

は、はい??っ?
ここで、「“さん”でお願いします」と言うと
あ、この人もしかして、自分で自分のおいわい??さびしい?、と
思われないか、、と気になり
「“ち、ちゃん”で…」
と答えてしまう。

もうアラフィーなのに、ちゃんづけ?…心の中でわが身を笑っていると、
追い討ちをかけるように、
「ろうそくは何本おつけしますか?」とくる。
うわ、正直に4?本と答えたら、完全に、
あ、やっぱこの人、Happy birthday to meの人?と思われそう。
とっさに
「じゅ、じゅっぽんで!」と答えてしまう。
どうすんだ?10本のろうそくなんて…。

でも、いいんだ!おいしいケーキをゲットできたのだから!!

私は、夫や子どもの誕生日にはいろいろ料理をしたり
プレゼントを用意したりするが、
自分の誕生日はテキトーでいいと思っている。

よく、カレシや夫が誕生日を覚えていない、と言ってなげく女子がいるが、
そういうのをいちいち祝ってもらいたい、と思うのって、私は恥ずかしいと
思ってしまうタイプ。
ま、ケーキだけは食べたいが。

このところ、不況のためか帰りが早い夫が、
バラを買って帰ってきた。あら?。サンキュ!

子どもたちが、
「あ、ママのプレゼント、何も買っていない」
としょんぼりするので、
「ママは子どもたちが仲良くしているのを見るのが一番幸せだよ。
それがなによりのプレゼントだよ」
と答えた。それは本心。

「よし、じゃあ今日はけんかしないようにしような」と
弟に小声で言う長男。
その素直さ(単純なのかも知れないが)が本当に嬉しい。

誕生日はさりげなく、が一番です。
大袈裟なおいわいはいりません。
好きな仕事ができて、家族があって、もうすでに毎日幸せですんで。
あ、ケーキだけは必須ですが…。

結婚は芸の肥やしか

私には結婚願望というものがなかった。

たまたま出会った夫と、
「芸の肥やしに一回くらい結婚するのもいいか。ダメならやり直せばいいんだし」
と軽い気持ちで結婚したのが28歳のとき。
会って半年も経っていなかったと思う。

昨今の婚活事情を見るに、あのくらいの気軽さで結婚しておいてよかったのかもとつくづく思う。

お互いさまではあるのだが、長く付き合うと絶対に欠点が見えてしまう。
そうなるとエイヤと決断するのは難しい。

結婚願望はなかったとはいえ、おひとり様も厳しいだろう、と漠然とは考えていた。

だれでも一度は訪れるというモテ期は私にも到来し、結構長く続いた。
私は、そうとう変わった人間だったが、
どんな集まりにも一人くらいは変わりもの好きの人がいるもので、
そういう人とよく意気投合した。

が、しかし、よもや結婚か?という気配はついに訪れなかった。

付き合っていくうちに、最初はめずらしかった私の変わりものぶりが
相手にとって苦痛になっていったのだと思う。
家族愛を一切理解しない私の冷たさ、他人を徹底的に糾弾せずにはおられない気の強さ…等々。
こんな女と安らかな家庭が築けるはずがない、と相手が思ったかどうかは知らないが、
いずれも長続きしなかった。
が、男はみんな踏み台、と豪語する懲りない変わり者なのであった。

そこへ現れたのが、離婚したばかりの傷心の夫。
仕事人間の夫が、長期出張が明けて帰宅したら、家具とともに妻が去っていたという。
心にぽっかり空いた穴を埋めるべく、とにかく急いで結婚したかったのだと思う。

おかげで私が拾われた。
後で「こんなはずでは!?」と思うことは互いに数知れず。

しかし、無事一子をもうけた。
それは、自分でも「ギョギョ!なに、このビフォーアフターは!」とあきれるほどの
変化を私にもたらした。
子どもへのあふれんばかりの愛!!愛!!愛!!
なにこれ。
食べたいほどかわいいって、こういうこと?
これまでも幸せって思っていたけど、あんなの別モノだ。
これこそが本当の幸せだ!!!

その後、かわいいもの見たさで次々と子どもを産み、今や三児の母。

すべて、「芸の肥やし」程度の軽い気持ちでした結婚のおかげなのである。




家に二人社長はいらない

随分前のことになるが、尊敬するある先輩女性に言われた。
「あなたは地に足がついているように見える。子育ても仕事も充実しているのね」
と。

ほう、そう見えるのか、と意外な思いがした。
確かにそれこそ目指している方向だが、毎日仕事と子育てでバタバタ。
とてもその境地に達しているとは思わなかったのだ。

でも、そういえば、いつの間にか子どもたちは保育園を卒園し、
今や、上から高2、中1、小4である。
世のすべての働く母を悩ませる“保育園のお迎え”から解放されて久しい。

10年くらい前の私は、
もっと仕事をしたい!という思いと、子どもたちともっといっしょにいたい!
という相反する思いの狭間であがいていた。
子どもはとても大事なのだが、家事育児のために仕事の時間が削られるのも嫌だった。
保育園へ子どもを迎えに行き、帰宅して夕食、お風呂、寝かしつけまでの
18時から21時は、ひそかに“地獄の3時間”と名付けていた。
毎日がバタバタのカオスであった。

夫は夫で自分の会社を切り盛りするのに忙しい。
私は私でフリーランスで食べていけるまでは!と必死だった。

仕事も目いっぱいやりたい! 子どもも一生懸命育てたい!
しかし、それには時間も人手も絶対足りない! 
解けないパズルを解くような不毛な苦しみの日々だった。

そんなある日参加した、異業種交流会で、たまたま正面に座った人が
占い師だった。
「あなた、別れの相が見える。離婚とか……」
ふと、あ、なんか見えた、みたいな感じでその人は言った。

確かに!?
その頃の私は、
こんなに毎日大変なのは、手伝わない夫のせい→夫憎し→離婚!?
というところまで思い詰められていた。

が、改めて他人の口から「離婚」という言葉を聞いてうろたえた。
それは絶対ありえない選択肢だった。
子どもの人生はどうなる!? 私にとっての最重要課題はそれしかなかった。

「あなたはそもそも、家庭のほうが合っている人。ばたばたと働くタイプじゃないのよ」

それで目が覚めた。

子どもを育てるには絶対誰かの手が必要だ。
夫婦二人しかいないとしたら、二人ともが100%仕事にかけるわけには
いかないのは当然といえば当然なのだ。

私があくせく働いたところで、原稿1枚いくらの世界。
夫の場合、どかんと1本いくらのプロジェクトおまかせで、の世界。
そんな仕事がしょっちゅう来るわけではないのが難点だが、
それにしても、どっちが効率的に稼げるか、と言えば、答えは明らかだ。

家に社長二人はいらない。
私のメインのミッションは子育てだ。
そう決めてから、嘘のようにラクになった。

別に仕事を減らしはしなかったし、育児の負担が軽くなったわけではない。
変わったのは、私の考え方だけだ。でも、それで救われた。

もちろん、急にぱあ?っとすべてがバラ色になったわけではない。
少しずつ、自分を納得させていった。
子どもたちの成長もそれを助けてくれた。

そんな折の、先輩の言葉だったのである。
「ああ、私もようやくここまできたんっすね、先輩!!」
心の中で、先輩ありがとう!と手を合わせたのでありました。





「書く仕事」は麻薬のようなもの?

櫻井秀勲先生のブログにこんなことが書いてあった。

世の中に作家だけで食べていける人は20人いるかどうか。
それ以外の多くは、作家だけで食べられず、雑誌にエッセイを書いたり、講演をしたり、
副業をして成り立っているが、それでも1000人くらいだろう。
しかもその年収は、大企業の役員よりも少ないかもしれない。
それでも、作家を目指す人が後を絶たない。
「物書き」という仕事には麻薬のような魅力があるのかも知れない。

というような内容だったかと思う。

確かに。
私も、恥ずかしながら、物を書くという仕事で、あるいはその周辺でもいいから
食べていきたいと思っている。
なぜなら、それが好きだから。
理由は、はて、わかりません。

私は、昨年あたりから、縁あって「ライター講座」と銘打った講座をいくつかやっているが、
毎回、告知するやいなや定員を上回る応募が集まる。
みな、いつか本を書きたい、とか、何か書く仕事がしたい、とか、
そういう人ばかりである。

絵を描きたい、絵を描いて食べていきたい、という人もいなくはないだろうが(事実私も学生時代そう思っていたし)、文章を書きたいという人ほど多くはないように思う。

ところで、小学生に将来の夢を聞くと、男子の上位は野球選手とかサッカー選手、ゲームクリエイターなど。女子は、パティシエ、獣医さん、保育士さん、など。作家なんぞベスト10にも入っていない。
なに? 彼らにとって、書く仕事は麻薬にはなり得ないのか。

ある年代から上の人だけの話なのかも。
調べてみると面白いのかも。




仕事の転換期?

辛かったことや、嫌なことを日記に書いて発散する、ということは、昔よくやっていたけれど(それで結構救われたこともあったけど)、最近は、文字にして書いてしまうと、ネガティブな感情がよりくっきりしてしまうようで怖いかも、と思っている。言霊とも言うしな。繰り返して読んでしまうと、潜在意識として染みつきそうだし。

で、ここのところ、すんごく不安だったり悩んだりしているけど書かなかったことがあるが、えい、書いてしまえ!

はい、それは、不況の折、仕事が少なくなっている、ということです。

世の中が不況と言われて久しいが、大もうけしようと思わなければ
もともと零細なフリーランスにはあまり影響はなかった。
が、ここにきて、レギュラーの仕事がどんどん終了とか継続不可になっている。

えー、どうしよう、3児を育てるにはお金がかかるのに…と思っていたが、
最近は、もしかして、これは仕事内容をシフトチェンジするときに来たのかも、
と思い始めている。

あせって営業しようか、と思ったこともあるが、よく考えたら、仕事はゼロではない。
短サイクルでばたばたする仕事は減ったけど、その代わりともいうべきか、
腰を据えてじっくり考えたり書いたりする仕事がパラパラと入ってくる。

ここで営業して、短サイクルの仕事をゲットしたとしても、
ばたばた忙しくなると、腰を据えてやるべき仕事に力が注げなくなる。
家庭との両立も、かなり大変になってくる。

そうか、じっくり型の仕事に移行する時期なのだ!と思うことにする。
新しい出会いを求める時期でもあるかも知れない。

人生は「はひふへほ」と言った人がいる。
「は」半分でいい
「ひ」人並みでいい
「ふ」普通でいい
「へ」平凡でいい
「ほ」ほどほどでいい
そう、大もうけしようと思わず、足るを知る人生を歩むべしである。

目の前の仕事を丁寧にしっかりやるべし。
そうすれば、それなりの生活はなんとかまわるだろう。




家は安全安心のベースキャンプ

先日の夕食時のこと。

「2015年にはメガネなしで見られる3Dテレビが出るらしいね」と
夫が、新聞記事を読み上げる。
「3Dテレビで『貞子』を見たらチョー怖いんじゃない?」
と次男。
そこから、『貞子』を見たあとしばらくトイレに行けなかったという話に花が咲き、
長女が、
「寝るとき怖いから、パパの足にはさまって寝てたんだ?。
そうすると絶対安心って感じがして」
と言えば、
「そうそう、親がいるって絶対的な安心感があるよね」
と長男が答える。

うっと感慨に打たれ、私は言葉に詰まる。
それこそ、私が理想としてきたことなのだ。
子どもにとって、安全安心のわが家、それを目指してきたのだと。

考えてみれば、私の育った家は、安全安心からは程遠いものだった。

まず、幼稚園に上がる前から鍵っ子だった。
心細いことこの上ない。

そこへ、新聞やら電気の集金のおばさんが来たりするとたまらない。
親はいません、お金、ありません、と言ったときの
相手の「あ?あ、」という顔がたまらなく怖かった。

両親は喧嘩が絶えず、
学校から帰ったら、朝喧嘩したときに投げ散らかした
茶碗や鍋がそのまんま転がっている。
これはかなり寒い光景だった。
二人が離婚したら、私はどうすればいいのかと考えると
不安でたまらなかった。

でもって、親が帰るまで、お腹がすくのもたまらなかった。
姉と、二人で、冷蔵庫に残ったわずかな材料で怪しげな料理をいろいろ作った。

今でも忘れられないのが、牛乳の代わりにカルピスを使ったカスタードクリーム。
すっぱくていくら空腹でも食べられなかった。

キャベツともらいもののブドウだけが冷蔵庫にあったときは、
それらをミキサーに入れてジュースにしてみた。
これに比べれば青汁のほうがまだいける、という味だった。

さらに怖いのは、母親の帰宅だった。
今日のご機嫌はよいのか悪いのか。
たいていはすんごく機嫌が悪く、何かあると子どもたちに当たり散らした。
姉と二人で顔色をうかがいながらおとなしく過ごしているのだが、
口達者で生意気な私は常に餌食となった。
なぐるける、当ったり前の世界だった。

極め付きは高校3年のとき。家が破産し、一家はちりぢりになった。

そう、安全安心な家とは永遠にサヨナラになってしまった。

が、おかげで強くなった。
強くなりすぎて、しばらくは友だちもできなかったかも。

そんなわけで、私はお金を失うことが怖い。
だから仕事は手放さない。
しかし、子どもを鍵っ子にしたくないから、働き方は自宅をベースとした
フリーランス。これはゆるがないコンセプト。

そうはいっても、取材や打ち合わせで外に出ることはある。
その場合、留守番中に子どもがお腹をすかせないようにと、お菓子やパンを
これでもかというくらいストックしないと落ち着かない。

夫婦仲、日々努力中。何があっても離婚はしないと決めている。

そして、子どもたちにキモいと言われても、
「大好きだよ!大事だよ!」と言葉で言い、抱き締めずにはいられない。

それでも、
「こんな親で子どもたちは幸せなんだろうか」、「私はダメ親では」と
思わない日はないのである。

そこにきて、長男のひと言。
「親は絶対的な安心感」

これは感動しないでいられよか!?

素直に嬉しかったのである。

「ありがとう、そう言ってくれてうれしいよ」
ととっさに言えなかったのが無念なところ……





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