いしぷろ日記

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仕事も子育ても余裕で楽しく、とはいかないものか?

昨夜は、取材が長引いて、帰宅が8時をまわってしまった。

それから夕食の支度。
小学生もいるから、早く食べさせねば、そして早く寝かせねば、
と焦りつつの支度はついついイライラしそうになる。


しかも今日は生協の宅配日だったから、
玄関脇には、あの白い宅配の箱が山積みに(働くママの間では「白い巨塔」と呼ばれている)。

ああ、泣きたくなる??。
が、だめだめ、泣いちゃだめ。イライラしてもダメ!
そういう段階を経て、私はもう悟りの境地に達しているはず。

働く母は大変であたりまえ、好きでやってるんだから、
子どもに罪はないんだから、
イライラせず、あかるく、さあ?、笑って?。

私は、もう10年以上前から、働く母の本を書いたり、記事を
書いたりし、自分なりに働く母たちにエールを送ってきたつもりだが、
やっぱり、あんまり状況は変わっていないんだよね?。
気合いいれてがんばっても、やっぱりツライよ…。

しかし、大変なのは働く母だけではない。

最近、若い女子たちといっしょに仕事をすることも多く、
会社で活躍する女子が増えたなあ、と感慨ひとしおなのだが、
彼女たちは、家庭をまだ持っていないというのもあって、
えらく夜遅くまで働いている。
男子たちにいたっては、家に1、2時間寝に帰って、また会社にもどる、
という生活が日常化している人もいる。

この不況で、ワークライフバランスなんて言葉もすっかり聞かなくなったし。

こんなことでは、晩婚化、少子化、当然の成り行きでは?
と思ってしまう。

こんなことでいいのか?

仕事はもちろん楽しい。でも、それでも限度がある。
プライベートも楽しくなければ仕事は楽しめない。


カナダに短期留学した長女は、
夕方4時くらいには、ホストファミリーの父が帰宅し、夕食をつくる、
という姿を日常的に見てびっくりしたという。

この間ホームステイしたAryoの父上も、在宅勤務やらフレックスタイムで
家族とよく過ごしているというし。

日本でも、そういう方向性を模索した時期があったけど、
一向に進まないね。。

子どもを産み育てる、という、
子どもとともに自分自身も成長でき、人生の楽しさをしみじみ実感できる貴重な時期を、
もっと平和に、ゆったりとすごせないものかと
心底思う。

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カッコいい生き方

私と同年代の人なら、ジュール・ルナール作の「にんじん」という児童小説をご存じの方も多いだろう。

赤毛にソバカス、兄に比べて何かととろい主人公の「にんじん」を嫌う母親のいじめっぷりがすごくて衝撃的だった。
私も子どもの頃、同じように母親に毎日のようになぐるけるの暴行を受けていたから、すごく共感した。かわいそうなにんじん、ああ、そしてなんてかわいそうなワタシ……

その後、30歳くらいだったか、
大人になってもう一度その本を読んでみて驚いた。
なんだ、このメソメソいじいじした可愛げのない少年は。
これじゃあいじめられるだろっ。

しかも、さらに衝撃的なのは、この本の結末である。

にんじんが、父親に向かって、勇気を奮い起して、
母親への不満を打ち明ける。自分がどんなに辛い思いをしてきたかも。
すると、父親がこう言う。
「ではお前は、私がお母さんのことを好きだと思っているのかね」
と。
つまり、お父さんも、お母さんが大っきらいなのである。
が、諸事情によりガマンして暮らしているのである(たぶん)。

その言葉を聞いたにんじんは、え、そうなの?
なあ?んだ、自分だけじゃなかったんだ、と安堵し、
これまでの苦しみが氷解するような気持ちになる。
そこでこの話は終わるのである。

なんと。

こんな家庭不和というか、偽りの夫婦関係っつーか、
こういうことを少年少女文学全集的な本のラインナップに
入れたのはいったい誰?

こんなことを思うのは、私の読み込みが浅いってこと?

そうかもしれないが、それにしても。

だれだって、親とは何かしら確執があるもんだと思う。
それをいつまでもネチネチと根に持って、作品にまで
しちゃった著者さん(おそらくにんじんのモデルは著者だと決めつけての発言だが)ってどうなの?

そんなのは、笑いのネタにしてしまうのだ!
辛いことを辛い、と言うのはなんか芸がないではないか!

と書いたところで、私の好きな作家のひとり、佐藤愛子さんの
「だからユーモア小説を書く」という短いエッセイを思い出した。

そこにはこう書かれている

「人生は悲劇である。悲劇であるからこそ私はユーモア小説を書くのだ。いっそ悲劇を喜劇にしてしまうことによって、私はそれに耐えようとしている。」(『戦いやまず日は西に』(海竜社刊)より)

悲劇を喜劇に変える、
めそめそぐちらない。
それこそカッコいい生き方だと思う。



Mがやってくる!

古くからの友人Mが、
久々にオーストラリアはパースから帰国する。

Mはとにかく変わったヤツ。
ともに美大受験のために、京都ですんごいボロ屋に下宿して、
デッサン修業をしていた頃からの友人。

彼女は大学は東京に行ったから、京都にあこがれて京都の大学に行った私とは
すっかり音信不通になっていたが、
たまに上京したときとか、その後、転勤して東京に行ってからはちょくちょく会った。

まず、会うたびヘアスタイルが変わっていて、それがかなりヘンだった。
服装もパンクだったり、アパレル業界っぽかったり(その時はたしかアパレル会社に就職してたのかも)
いちいち覚えていられないほど、ノンジャンルだった。

突然、チャネラーの講習会で出会ったすごい年上の人と結婚したというのでびっくり。
下宿時代の遠距離恋愛やらマクロビオティクス系のコミュニティで恋に落ちたイギリス人やら
いろいろいたような気がするが、まあ、過去の話はいいか、

と思っていたら、何年かして離婚。

故郷に帰ったと聞いたが、Mのことだ、田舎でおさまっているはずはあるまい、
と思っていた。

と、またいきなり、東京にいるから会おうと連絡があり、
会った日に聞いたのが、
「今度孫ができるんだ?」
というからびっくり。

え?孫?どーゆーこと?

つまり、孫のいるおっさんと再婚するらしい。
それも、いきなりオーストラリアのパースっちゅうところに嫁いでいくとか。
あんた、英語できたっけ!?

写真を見たら、頭つるっつるに黒サングラスの人だったのでまたぶったまげた。
なに、これ?ユル・ブリナー??

もう来週にも発つからガレージセールをするんだ?、
なんか欲しいものあったら言って?と
これもまたいきなり。
すべてがMらしい。

そして、今月、
何年ぶりだか日本に帰ってくるという。

いったい今度はどんなヘアスタイルになっているのか。
全身タトゥとかしてたりして!?
今からすごく楽しみ。

そんな職業まだあったの?

「恋するシャンソン」というフランスの映画で、
こんなシーンがあります。

場面は、どこかの立食パーティ。
中年のちょっとくたびれた男性が、知らない女性から声をかけられます。
「職業は?」と聞かれ、「ラジオドラマのシナリオライターを」と答えると、
女性は、ぷっ、と思わず噴き出して
「そんな職業、今でもあるの?」と答えるのです。

その男性は、ちょっと前、図書館で出会ったちょっと気になる女性に、同じように職業を
聞かれ、やはり「ラジオドラマのシナリオライターを」と答えるのですが、違っていたのは、
女性の答え。その女性は「ステキ」と言ってニコっと笑うのです。
華やかな出世コースかはらはずれ、でも好きなシナリオを書いてその日暮らしをしている、くたびれた独身男の心に、その瞬間、ぽっと暖かい灯がともる、
そんなシーンのあとだっただけに、
パーティーでの女性の言葉はキツイ。

が、この、随分前に見た映画のシーンを最近、他人事ではない気持ちでよく思い出すのです。

たとえば、私は雑誌の編集の仕事をしていますが、
電子出版が一般的になるのはもはや必至。
紙面の編集なんて仕事、
「そんな職業、今でもあるの?」
と言われる日はもうすぐそこかも。

ここで、
私は紙の世界が好き、電子出版なんて、と変化をかたくなに拒むか、
へえ?、そっちの世界も面白そう、と新たな好奇心を燃やすか。

それは、難しい問題。

変化を追うだけで、結局何も残らなかった、という未来もあるかもしれないし、
変化についていかなかったために、いろいろ不便をかこつことになった、という未来もあるかも知れない。
(未だにワープロもメールもできないというライターは、きっとすごく不便をしていると思う)
変化は気にしつつも、これが自分の道、というのをゆるぐことなく続けたために、後年大きな評価を得る、という未来もあるかも知れない。

だれが言っていたか、
自分の作りたいものを作る、のではなく、
世間が欲しがっているものを作る、のがビジネスの基本だとか。

だれも欲しがらないものはなくなっていく、それは仕方がない。
みんな欲しがっているけど形になっていないもの、そこが狙い目。

だとしたら、変化(みんなのニーズ)は意識しつつ、
そこに自分のしたいこと、できることをうまく乗っけていくんだろうな。
そうすれば、生き残っていけるんだろうな。

テレビの隆盛で斜陽産業と言われた映画だって、若い監督たちがつぎつぎ現れて、今元気がいいし
ラジオドラマだって死滅してはいないし…。

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