いしぷろ日記

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今回の地震を振り返る

11日、朝から某所で取材でした。1日に3件の取材をすることになっていて、
2件目が終わり、さあ次は最後、と思っていたら、建物が大揺れ。
えっと、こういうときはどうすればいいんだっけ、と固まっていたら、
同行の人が「とにかく建物から出ましょう」と。

バタバタと階段を駆け下りて外に出ると、
同じ敷地内の人たちも次々と出てきて、中央の広場のようなところに集合していました。

立っている地面が波打つという経験を初めてしました。
建物のガラスはうねうねと波打っていて、もう少し力が加わると割れそうな感じ。
おもわず、クライストチャーチもこうだったのだろうかという思いが頭をかすめました。

えらく長くゆれたようだけど、一度揺れがおさまって、
「すごかったね?」と言っているうちはまだ余裕でした。
が、そのあとまたスゴイゆれが来て、
周囲からは悲鳴が。
そばにいた人が、すぐにケータイで情報を収集しようとするもアクセスできず。
とっさに家族などに電話する人もいましたが、つながらない。
私はといえば、ぼーっと突っ立っているだけ、、、。

その時点では、震源地も、地震の規模も何もわからず、
情報がないということは、これほど不安なものなのか、と思いました。

でも、それでもまだ、もうちょっとして落ち着いたら、遅れてでも
残りの取材をスタートしなければ、と思っていたのです。

が、着のみ着のままで建物から出てきたので、ノートもレコーダも建物の中。
一瞬落ち着いたところで、それらを取りにもどり、
(そのときエレベータに乗ろうとして、「あ、やめた方がいいですよ」と言われるくらい、
ボケボケだった)出てきたところで、また余震。

同行のカメラマンも、こんな状態でとても取材モードになれないと。
で、他のメンバーとも話し合い、取材は延期。
では帰りますか、となったが電車は不通。
たまたまメンバーの一人が車で来ていたので、一人ずつ送ってくれることになりました。
よく考えると、その人も一刻も早く家族のもとに帰りた方だろうに、ありがたいことです。
その人は、途中、ガソリンを入れたり、食べ物を買いにコンビニ寄ったりと、
マメなので準備がいい人だなーとぼーと見ていたのですが、
後の大混乱を考えると、まだ騒ぎの小さいうちに
そのような手を打っていたカレは本当にかしこい!!のでありました。

こういうとき、一番気になるのは子どもたちのこと。私学に通う子どもたちは、当然ながら
電車通学なので、帰宅難民になっている可能性は大。
電話はつながらず、とりあえず、メールを送って連絡を待つしかない。
しばらくして、全員、今日に限って部活もなく、道草もせず、早く帰宅していたために無事。
地元の小学校に通う次男を迎えに行ってくれたこともわかり、ホッ。
夫ともだいぶ経ってからだが連絡がつき、無事を確認。

普段なら1時間程度の道のりを5時間かけて、自宅にたどり着きました。
夫は事務所に宿泊。
子どもたちと、懐中電灯などを点検して、いつでも避難できるよう服を着たまま就寝。

その後、TVを見て、刻々と被害の全貌が明らかになっていくのにびっくり。
次々と新しい情報が入るので、目が離せず、翌日もずーっとTVにかじりついていたかも。

メールなどでは皆から相次いで無事の連絡があり、安心。 
何かできることはないか、とみな真剣なのに感激。

月曜の打ち合わせは相次いでキャンセルとなり、
火曜、水曜には落ち着くだろうと思っていた交通事情もよくならないので、
水曜以降の打ち合わせも次々とキャンセル。
結局、今週はずっと家にいることになりました。

子どもたちも、公立小の次男だけは通学で、上二人はずっと休校。

花粉症がひどくてティッシュがカラになったのでスーパーに行ったら、ティッシュはゼロ、
他のものも棚ごとごっそりなくなっているのに驚愕。米もゼロ。
いったいだれが? 家族には、しばらく鼻水はハンカチでかむこと、
この機会に、手鼻のかみ方もマスターせよ、と指令。

肉も手に入りにくくなるらしい。
ならば、イモ、かぼちゃを食べればいい。それだけでもありがたい。

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