いしぷろ日記

シナリオ仲間と飲み会

昨日は、シナリオ仲間11人と飲み会に行きました。
少人数だったので、全員といろいろ話ができて楽しかった。

K女子に、「今ツイッターで○○ナウと書くのは古い」と教えてもらいました。
T男子の、坊さんでプロレスラーの男のプロットは面白かったです。
K女子その2の衝撃の告白は、衝撃的すぎてネタにできない。
T女子が意外にお酒にうるさいことを知り、ちょっと嬉しくなった。突然神が降ってきて、小説を一本書いたというのはすごい。
H男子は毎週山梨からバイクとバスと電車で通っていることを知り、感動した。次回は山梨のおいしいワインを持ってきてくだされ。
S男子は、来週、再就職の面接があるので講義に出られないとか。みんなで教室から応援オーラを送ることにする。
T女子その2はビール1杯がリミットであった。
H女子は、カレシ大募集中。しかし、絶対イケメンでなければだめらしく苦戦中。
K女子その3は、相変わらず気持ちがいいほど元気。中座して夜の授業に出かけていった。
Y女子は一見おとなしいが、帰りの電車で秘めた闘志を見せつけられた。

はあ~。おもしろいひと時でありました。

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3人のおじさん

 シナリオセンターの宿題で、「魅力的なおじさん」というお題が出た。
 ぱっと思い出したのは、モーパッサンの短編『ジュール叔父さん』に出てくるジュール。
 次に思い出したのは、父方のK伯父さん、母方のM叔父さんだ。

 ジュール叔父さんは、フランスの話。ならずもので親戚中の恥と言われたジュールが、アメリカで一旗あげて帰ってくると言って海を渡り、いつのまにか貧しい一族の唯一の希望となるのだが、結局は地元の観光船の上でカキの殻をむいている薄汚いオヤジがジュールだった、という滑稽で切ない話。甥っ子の回想話として始まるのだが、最後もなかなかシャレている。アメリカでのジュールの暮らしには全く触れられていないが、ここをふくらましたら、面白いドラマになりそうだ。

 K伯父さんは、徳島の山奥で生まれ育ち(そこは今でも猪が出る)、子どもの頃から神童と呼ばれた秀才で、京大に行って建設省に入った。が、下ネタも言う面白い伯父さんで、同僚がベンツやらクラウンやらに乗っていても、車にお金を使うなんてばかばかしいと言ってずっとカローラで通した人だった。瀬戸大橋やら明石大橋の建設に携わっていたときは、ときどき香川県のわが家に立ち寄った。旅慣れている人らしく小さな鞄を持ってふらりと現れるのだが、分厚い本を必ず携えていて、いつも勉強していたという印象がある。
 建設省を退官した後、大手企業の会長に天下りしたが(当時は天下りはそれほどダーティなイメージはなかった)、「こんな年よりが出張っては老害以外の何物でもないよ」とわが身を恥じていた。今は奈良に隠居して悠々自適の暮らしをしているはずである。

 M叔父さんは、若いころからやんちゃもので、親戚中からあいつは将来どうなるものやらと心配されていたらしい。看護婦の奥さんをもらって、2児ももうけ、ようやく落ち着いた。学歴がないことに非常にコンプレックスを持っていて、M叔父さんとよく行き来のあった頃の私は進学校に通うガリ勉さんだったからすごく嫌われた。私も多分、M叔父を見るたび嫌な顔をしていたと思う。私の母も「Mはバカでどうしようもない」としょちゅう言っていたが、父が亡くなって、子どもが巣立って一人だった母を何くれとなく世話してくれたのはほかならぬM叔父だった。

 さて、宿題である。
 私はどんな「魅力的な叔父さん」を書いたのか。

 バックパックをかついでインド放浪の果て、ベンチャーを立ち上げては失敗を繰り返すダメ叔父である。懲りずに、バッタもんを仕入れて売る商いを始めたが、家賃も払えない。買付に行った韓国から帰国したその足で、姉のもとに無心に行こうと、姪っ子にメールする。姪っ子から「イ・ビョンホンの生写真をお土産に持ってきて。ママの機嫌がよくなるから」と返信がきて、急きょ新大久保まで生写真を探しに行く……。
と、結局架空の叔父さんの話になりました。

新宿区某プロジェクト第2回会議で濃いメンバーに圧倒され

昨年度から関わらせていただいている、新宿区某プロジェクト。
このPJの特徴は、区民が編集委員となって新宿区の発行する情報紙を制作するということ。
区民が制作することによって、お役所言葉ではない、親しみやすい冊子を作るのが狙い。
メンバーは、昨年度と同様、不肖わたくしの開催するライター講座を修了した方の中から
立候補してくださった12名。男性4名女性8名で年代は30代~70代(多分)。
昨年度のメンバーも個性派ぞろいで、毎回熱い議論が戦わされたのだが、今年度のメンバーもまたスゴイ。
最初からそんなにとばして大丈夫ですか、、、っという感じ。
もう、今から打ち上げのビールが楽しみ。。。その前に、ドタバタの制作活動が控えているのだけど。。。。

建築家と健康サンダル

随分昔、あるプロジェクトで、建築家のIさんを含むメンバーとともに飛騨高山のデザイン事務所を訪れたことがある。
Iさんは当時60代くらいだったのではないかと思う。白髪交じりのヒゲを短く整え、デザイナーズブランドのスーツをラフに着崩して、いかにもモテそうなちょいワルおやじだった。
Iさんは著名な人だったのでメディアではよく拝見していたが実物にお目にかかるのはそのときが初めてで、20代半ばの私は少々というかかなり緊張していた。
打ち合わせの場所であるデザイン事務所は、世界遺産にもなっている白川郷の近くの一軒家で、名のある建築家が手掛けたらしい小洒落たたたずまいだった。
気おくれしながらドアを開けると、だだっ広いフローリングの空間が広がり、開け放たれた窓の向こうにはウッドデッキのテラスがあり、その向こうに北アルプスの山々が見えた。部屋の中央には、無垢材の大テーブルがデンと置かれ、その周囲には地元の若手デザイナーがデザインしたという椅子が並べられていた。
細部にわたるまで完璧なまでにお洒落な空間だったが、そこに一つだけ妙に違和感のあるものがあった。それは、玄関にぽつんと置かれた健康サンダル。足裏のツボを刺激するいぼいぼのついたアレである。
「え? なに、これ」と思ったのと、「いいねえ、こういうの、ボク大好きなのよ」とIさんが言ったのがほぼ同時だった。
Iさんはためらうことなく、ずらりと並べられたオシャレなスリッパではなくその健康サンダルをはいて、すたすたと部屋の中に入っていった。
私は目をまんまるくしてIさんの後姿を見ていたが、次の瞬間、Iさんのことが大好きになっていた。
そして、Iさんのような人になりたいと思った。
ドがつく田舎に生まれ育ち、東京に出てきて何年か経つのに、いつもどこかおどおどびくびくしていた私の、肩に入った力をすーっと抜いてくれるできごとだった。
あれから20年以上がたち、私も見た目だけはベテランになった。打ち合わせなどで会う人たちはほとんどが私よりはるかに年下である。若手の人が緊張していたり、場がなんとなく堅くなっていたりするとき、私はいつもIさんを思い出す。で、くだらない冗談を言ってみる。すべることもあるのだけど、私としては、あのときのIさんのように健康サンダルをはいてすたすたと歩いているつもりなんである。

私を育ててくれた言葉

自己啓発もののセミナーや本で、よく「まず、自分を好きになりなさい」とか「自分を好きになれなければ何ごともはじまらない」的なことを言われる。

ノウハウやらスキルやらを色々学ぶのは好きだし少々の苦労はいとわずがんばろうと思ってるのに、これを言われると、あ、ダメじゃん、とやる気がしぼんでしまう。
だって、自分を好きになるって、一番難しくない??
やだもん、こんな性格。暗いし、クソ真面目でつまんないし、ネガティブシンキングだし、人づきあい苦手だし、今でも思い出すと恥ずかしくて気を失いそうなことばっかりしてきたし……。
と、そんなことを、ついこの間までは思っておりました。

でも、最近、ホントここんとこ最近、少し、自分のことが好きかも、と思える瞬間ができてきた。
どうして自分を少し好きになれたか。それは、周囲の人たちに、いろいろ教えられ、育てていただいたおかげかも、といい子ちゃん発言でなく素直にそう思っています。

なので、ちょっと、過去の、私を育ててくれた語録を思い出せる限り思い出してみようと思います。

その1 「仕事、これ、全てサービス業なり」

ライター仲間のカオルの言葉です。彼女はいつも明るく元気があって、彼女の取材現場はいっつも楽しいんです。私とは対照的。自分のくそまじめさ、ユーモアのなさが嫌で仕方がなかったんっす。そんなとき、彼女がこう言ったんですね。「仕事、これ、全てサービス業なり」と。
私はこの言葉を、取材して原稿書くだけがライターの仕事じゃないんだよ、どうせなら取材相手も同行のディレクターもカメラマンも、みんな、今日の仕事は楽しかったね、と思えるような雰囲気づくりをするのも仕事のうちだよ、だってサービス業なんだから、という風に解釈しました。で、努力するようにしました。カオルとはキャラが違うんで、あっけらかーんと明るくすることはできないけど、心構えを変えるだけで、それなりに成果はあったと思ってます。今日はいい仕事ができた、と思える日がふえていくにつれ、少しずつ自分のことが好きになれた気がします。

その2「エビでタイを釣った、と思わせる仕事をしなさい」

尊敬する先輩ワーキングマザーのヨシコさんの言葉です。
仕事を発注してくれた人が「え、こんだけのギャラでここまでやってくれたの?」と驚くくらい、
仕事に熱意を込めなさい、ということです。ついギャラが安いと、ま、この程度でいいか
って感じで仕事を流してしまいがちなんですが(実際、そういう采配も必要なんですが)、
気持ちとしては「エビでタイを釣ったを思わせる」って心意気は忘れてはいかんと思っています。
フリーやってもう15年以上になりますが、仕事にあぶれることなく続けていられるのは、
ヨシコさんの言葉を忘れなかったおかげかと思っています。

その3「付き合い上手は年の功」

これも大先輩もワーキングマザー、テルコさんの言葉です。
私は人づきあいが本当に苦手で、人のいる中にいると緊張しっぱなしで、家に帰ってからいっつも
ぐったりしてました。さっきあんなことを言わなければよかった、こう言えばよかった
といつまでもくよくよ悩んだり。パーティも苦手だったし、人と二人きりの状況になったら
何を話していいかわからなくて、そういう状況にならないようあれこれない知恵をしぼる自分がホント嫌でした。
が、今、人と話すのが大好きな自分に気が付き、ほう、テルコさんの言ってたとおりだ、と
思うわけです。
取材で何十人、何百人の人と話すうち、慣れたってのもあるかもしれない。
とにかく、この人はどんな人生を生きてきたのだろう、と興味がつきなくて、
聞きまくっているうちに時間は過ぎてるって感じ。
人とたくさん話ができた日は、本当に今日は楽しかった、と思えるし、
あなたと話すと元気が出るとか言われることもときどきあって、
そういう日々が続くと、いつのまにか自分がそれほど嫌いじゃなくなっているんっすね。

その4「最悪になってから本当の人間関係が始まる」

もう亡くなってしまいましたが、かつての上司です。
20代の頃、私は思い出すのも恥ずかしいほど、うぬぼれやで生意気で
人と衝突してばかりいました。
この上司ともよく衝突しました。
で、あまりに横柄な私の態度にこの上司、ブチ切れて
「全く、なんなんだ、この女は!」と大地を揺るがすような怒声を発したんです。
(その後、○○部長にこの女よばわりされたイシイ、ということで
しばらく語り草になりました)
さすがに私も反省し、あとから頭を下げて謝りにいったんっすよ。
その時に言われたのがこれです。
「最悪になってから、本当の人間関係が生まれる」と。
がぴーん、とショックを受けました。
なんて器の大きな人なんだろうと。

まあ、このように、いろいろな人に私は育てられました。

ほかにも思い出せばいろいろ語録、出てきそうなんだけど、
ぱっと思い出すのがこの4つ。

ああ、ちゃんとメモしとけばよかった。。。


妄想の世界で遊ぶのは楽しい

1月から通い始めた、毎週1回のシナリオスクールは、かなり楽しい。
シナリオの宿題が毎週1本出るのだが、これが苦しくも面白いのだ。

画家の初期の作品に自画像が多いのは、まだ売れていなくてモデルを雇うお金がなかったからと言われているが、文章を書く人も、最初は私小説的な話を書くことが多いのではないだろうか。
シナリオセンターの宿題も、もうかれこれ17本ほど書いたのだけど、最初の頃は、自分の経験が発端になっていた。が、毎週毎週書かされていると、それではネタがなくなってしまう。で、妄想力をフル回転させて書くことになるのだけど、この「妄想の世界で遊ぶ」ことが楽しい。

書いていてひとつ発見があった。
今まで、手書きかワープロか、ということで迷っていたのだが、
どうも、下書きを手書きでやって、ワープロで仕上げるのが
一番都合がいい、ということ。
手書きだと気のせいか、発想が自由になって、気の向くままがーーーっと書ける。
ただし、あとで読み返すとあまりもつたなくて使えない。

ワープロだと、なぜか一文一文その場できれいに整えたくなって、勢いやスピードが落ちる。

なので、手書きでがーっと書いて、ワープロで手書きのときの勢いも残しつつ、
文章としての体裁も整えながら仕上げるのがバランス的にちょうどいい、って感じ。

これはシナリオの宿題(短い習作)に限ってのことなのだけど、、。

長いものを書こうと思ったら、やはりいきなりワープロのほうが効率的かも。

近況まとめて

あらあら、しばらくブログを書いていないなあと思ったら、、前に書いてから2カ月近く経とうとしているではあーりませんか!
自分の備忘録として、この1カ月ちょっとの間にあったできごとを書いておきます。

えーと、4月は、20日に入稿という仕事(パンフ関係)が3つ重なって、うっそーという感じでしたが無事終了。

親子向けの単行本もその翌週くらいが入稿で、これも無事終了。

そのほか、単発で入ってきたマニュアルの仕事と、
『キンジロー』というフリーペーパーの取材やらやっているうちに4月がおわり、5月。
連休には、家族5人+犬1匹を連れ、名古屋まで一人暮らしの義理の父を訪ねる。
超~~~渋滞だったのだけど、家族5人がそろうってめったにないことたっだので、
車中、結構楽しかった。

連休明け早々に、小学生の次男の学校の家庭訪問。

新宿区の協同プロジェクト(区民を対象に編集講座をし、修了者とともにOJTで情報誌を作る)が
男性5名を含む24名のメンバーでスタート。

5月は保護者会シーズンで、3人子どもがいるから3回学校へ。あら、大変。
今年中3の長男は、すったもんだの末、せっかく入った私立の中高一貫校を辞め、近所の公立中学校へ転校。
いじめられることもなく、毎日を超~~楽しそうに通っている。勉強しなくていいからね…。受験どうするつもりなんだろう、、、、。

で、ぼやぼやしていたら5月も終わって、
6月早々には毎年恒例の、教育イベントに。取材とフリペ配りが仕事なんだけど、
もといた会社が主催なので、古い知り合いたちと会えるのが楽しみ。
と久々の再会をし、互いにどの程度老けたか中年太りしていないか、ボケてないかを確認。

昨日は、知人の事務所開きパーティへ。

で、今日は、新宿区の協同プロジェクトの、第2ステージスタートの日。
情報誌の編集メンバーが決まって、初顔合わせだった。
あらまあ、とても個性的なメンバーがそろいました~!
この先、どうなっていくのか楽しみ!!

明日は、シナリオ学校で知り合った女子と、東京国立近代美術館フィルムセンターへ映画を見に行く。