いしぷろ日記

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PTA、委員決めのいつもの光景

昨日は、新学年が始まって最初の授業参観&保護者会でした。
もう6年生だから、本部役員があたることはないので、
クラス委員決めは簡単に終わると思っていたのですが……。

今回もデジャ・ビュといいますか、
だあれもやりたくないオーラで教室は固まっておりました。
2人のクラス委員と、1人の専門委員と、3人の卒対委員が決まらない。。。

「こうなると、申し訳ないですが、今まで一度も委員をやったことのない方から選んでいただくことになりますが……」
と若い担任教師が言う。

やっぱり教室はシーンとしたまま。
「委員をやったことがない方……」
だあれも手をあげない。
「では、委員をやったことがある方……」
こうなると犯人探しのようだ。
しかし、6年になるまで何の委員もやったことのない人っているのかな。
と思ったら、手を挙げない人が二人いた。

一人はうつむいて下を向いている。
もう一人は
「やらなければならないのはわかっているのですが、仕事で午前中は空けられないので、会議には全部出られないと思います。みなさんにかえってご迷惑がかかるので」
といったことを消え入りそうな声で言う。

しばらくまた沈黙が訪れる。

このまんまじゃ進まないだろうな。
どうしてもやる人がいなければ、私は暇なわけじゃないけどフリーランスだから
年10回の会議くらいなら出られないとも言えないし、手をあげるべきか。。。
でも、もう3回も会長やってるしな、今年50だしな、、若手に譲るのが筋だって思うし、、。

しかし、このラチのあかなさ感。耐えられない。
ので、手を挙げて言った。
「先生、大変申し訳ないのですが、一瞬席をはずしていただいていいですか?
みんなで話し合いがしたいので」
と、まあ言わなくてもいいことを。

一度、堅い空気をほぐして、
「あんたどう?」「いや、○○さんも手伝ってくれるっていうんならなんとか、、」というような話が出てくれば突破口が開かれる。
「誰か、上の子で卒対やったことある人います? どんな仕事するんです?」
と呼びかける。とにかく空気を動かさないと、、。
と、経験者が一人いて、仕事の説明をしてくれる。
すると、ばたばたと手があがり、3人定員のところ、4人が卒対に決まった。

さあ、あとはクラス委員。

と、ある保護者が言った。
「今までやったことない人がやればいい話じゃないですか」
たまりかねたといった感じで他の保護者も言った。
「だいたい、仕事があるからできないなんて、仕事のない人がやれって言っているのと同じじゃない」

きた~。こういう展開。
一番嫌。。。

ほかの人はシーンと黙ったまま。
黙っているということは、同意と同じようなもの。

まるで集団いじめ。
子どもに対して恥ずかしくないのか。
あんたたち、そうとう怖いよ、、。

やったことない人がやるべき、そりゃ、当の本人だってわかってるだろう。
それでもやれない事情があるって考えてあげてもいいんじゃないの?
私には関係ないわよ、ではなく、なんとかしてあげられないかな、という
発想を持ってもいいんじゃないかな?

「年に10回程度の会議ですよ、3人の委員で交代して出るとしたら年3回程度、それだったらなんとかなる人いませんか?」
ぶっちゃけもう6年なんだし、いろいろ議論したって議案が採決されて施行されるときは私ら卒業。バカ正直に全部の会議に出られなくてもまあいいじゃない。それでだれかが「それならやれる」って言ってくれるなら、と思ってそう言ったのだけど、みんなの差すような視線が怖かった。

まあ、この中の人全員に嫌われても全然怖くないけど、、。
会長職やって総イジメにあって、ストレスでガンになって死ぬかもっていうくらい思いつめた経験がある私としては。。。

じりじりと、気まずい時間が流れたが、
あっけなく結末はやってきた。
いったん卒対に決まった人のうち一人が、
「私は午前中の会議に出られるので、クラス委員をやりますから、あなたは卒対をやりませんか?」
と、一度も委員をやったことのない人の一人に言ったのだ。この人は救世主!
卒対の打ち合わせ時間は午前と限らずメンバーの都合で決められる。

残りの一度も委員をやったことない人は、「もう一人の方と分担してならなんとかやります」ということでクラス委員となった。

じゃあ、最後、「専門委員は私がやります」と手を挙げたら、
「それは、今日欠席している人で、立候補した人がいるからもう決まっている」だって。
赤っ恥。。

「じゃあ、決まった人に大きな拍手!」と無理やり盛り上げて、
会は終わったが、なんとも後味が悪かった。

きれいごとと言われても、
私は困っている状況にあって、知らぬ存ぜぬとばかり黙っていることはできないし、
困っている人を追い詰めるのはしたくない。
そういう人たちの側には絶対つきたくない。

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シナリオ・センターのゼミを卒業

昨日、晴れてシナリオ・センターのゼミを卒業できた。

20枚シナリオを30本書けば卒業できるのだが
短い人で8カ月、長い人は1年、2年かかって卒業すると聞いていた。
もちろん、卒業できずに脱落する人もたくさんいる。

課題は、「誘惑」「怒り」など感情表現あり、「刑事」「弁護士」など職業ものあり、「コメディ」「メロドラマ」などジャンルものありとさまざま。
これだけいろいろなテーマがあると、自分の経験だけではとても書ききれず、いろいろ調べなければならない。
絶対無理!と思うようなテーマでも、みんななんとか書いてくるので、焦りつつも、自分もがんばらねばと思いながら続けてきた。

シナリオを書いてきたら、「本読み」といって、みんなの前で読むのが恒例。
自分のつたない文を読む恥ずかしさにはすぐ慣れたが、
人のを聞くたびに、
自分以外の人がみんな上手に思え、自信喪失感にさいなまれるのには
最後まで慣れなかった。

こんなに上手な人がいっぱいいるんだったら、もうやめようかな、と何度も思った。
でも、自分でも上手く書けたな、と思うと、
みんなに聞いてほしくなるし、みんなからほめてもらうと、すっごく元気が出て、
またがんばろうという気になった。

書けない、書けない、と思うときは、苦しみつつも、最後の課題をクリアして卒業していった先輩のことを思ってがんばった。

創作とは孤独な作業と思っていたが、決して孤独なだけではないと実感したものだ。

さて、最後の課題は「時代劇」だった。ゼミの初日から、課題一覧を見て、こりゃ無理だろうと思った。
絶対書けないよ、時代劇なんて。でもこれを書かない限り卒業できない。
なので日頃から、時代物の小説を読むよう心がけてきたが、性に合わなくて、全然ページが進まない。
そうこうしているうちに、ついに時代劇を書かなければならないときがきた。

にわか勉強でいろいろ調べているうちに、江戸時代のシュウカツの話を書こうと思い立った。職にあぶれた女が見世物小屋で蛇女の職にありつく。しかし、生類憐みの令のせいで再び職にあぶれる、という話でいくことにした。
で、調べていくと、実は蛇女は街頭でスカウトしてきた素人女性だったとか、生類憐みの令を出した綱吉は男色家だったとか、へえ~~というようなネタにも触れることになり、なるほど、時代ものを書くって面白いのかも、と思った。

とにかく、なんとか時代劇のシナリオをでっちあげ、無事卒業できた。

これはひとえに先生と、シナリオ仲間たちのおかげと感謝している。

大学の入学式に親が行く?

今年大学に入った娘が小学校のときのママ友たちに、久々に会った。
「大学の入学式に行った?」
と聞かれ、びっくり!
行くわけないじゃん!?
が、ほかのママたちの反応は違った。。
「行きたかったんだけど、予定があっていけなかったの」
「大学側から保護者の参加はできないって言われて」
「息子が絶対来るなって言うから……」
あら~、みなさん、行けるんなら行くつもりだったんですね。

これがいまどきなの?

もういい加減、親の支配から解放してあげたらどうだろう。

私だって入学式、ちっとは見たいって思ったけど。

大学生活どうなの? とか、いろいろ電話して聞いてみたいけど、
あえて距離をおいている。
それが、大学生になった子の親の、取るべき態度だと思っている。

学校は、かくもネガティブな場所なのか……

今日、子どもの通う小学校に、読み聞かせのボランティアに行った。
もう10年来続けている活動。

今日の訪問先は、新一年生の教室。
子ども達はつい数日前に入学式を迎えて小学生になったばかり。
担任の先生に、
「読み聞かせが始まるから体育座りをしなさい」と言われても、
「おしゃべりをやめなさい」と言われても、そう簡単に先生の言うことを聞きやしない。
すると、
担任の先生と副担任の先生二人がかりで、言うことを聞けない子を名指しで叱りつける。
そのときの子ども達のおびえた顔。

きっとこれまで、こんなふうに叱られたことないんだと思う。
プライドだってずたずただと思う。

最初が肝心っていうのはわかるんだけど、先生たちコワすぎ……。
はたで見ていたこっちまで心がしゅんとしてしまう。

小さいキミたち、くじけるな! 学校とはこんな日々の繰り返しなのだよ。。
こんな中で、自分を見失わないように生きるのは大変だ……。

せめて、読み聞かせを楽しんでもらおうと、わたしゃ、思いっきり楽しく読みましたよ。。
食い入るように絵本を見ながらきいてくれる子ども達、かわいかったなあ。。

学校といえば、昨日、高1になったばかりの息子が、アンケートを持ち帰ってきた。
親に対して、「お子さんのことを教えてください」というものだが、ネガティブ質問のオンパレードに驚きを通り越して笑ってしまった。

第一問、これまで、お子さんのことで悩んだり不安だったりしたことは?

私は、子どもが病気もせず、事故にもあわず、自分らしい人生を楽しんでくれればそれでいいと思っているので、なにか不安があるとすれば、それが妨げられることだけなのだ。少々荒れようが、親に反抗しようが、そんなこと悩みでも不安でもないしな、、。と思うと何を書いていいのやら、それ自体が悩みだよ、まったく、、。

第二問、これからの高校生活において、不安に思うことは?

おととい入学して、しょっぱなに聞くことが、「不安なこと」ですか。。。
「夢と希望のみ」とだけ書いた。

第三問、教員、学年、学校に望むことは?

こんなアンケートを考えつく学校に望むことなどありませんな、と思ったが、そう書くのはあまりにも、、なので「お務め御苦労さまです」とだけ書いた。

学校とは、否定形、命令形、ネガティブワードのオンパレードなのか!?
そうでない!と反論してくれる人、乞う!

「老人ホームで孤独死」の記事に思う

昨日の新聞で、老人ホーム内の自室で孤独死をした女性の話が出ていた。

記事によると、その女性は、介護を必要とせず、身の回りのことは自分でできるので「干渉してほしくない」と常々職員に言っており、職員はあまり関わり合っていなかったという。

最近孤独死が増え、新聞にもしばしば載っているけれど、それは本人にとって、本当に悲しいことなのか。
悲しんだり、もっと何かできたのではと悔やむのは、残された人だけではないか。

「孤独死」という言葉がだいたいネガティブだ。もっといい言葉ないのだろうか。
本人は、孤独とは思っていないかもしれない。
好きなことをしてきて、最後はぽっくり死にたいと思っていたけど、それがかなってよかったと思っているかもしれない。

老人ホームには、この新聞記事の女性に限らず、「干渉しないでほしい」、毎日、今日も生きているかどうかを確認するための「安否確認」(それは、小型の通信機のボタンを押すといったものだったりする)もイヤ、という人が少なくないという。

私もきっとそういう高齢者になると思う。

せっかくお迎えがきたのだから、そっと逝かせてほしい、と思うのではないかな。

職員さんたちが駆けつけて、延命措置なんかされるのは、往生際が悪くていやだ。

親が高齢になったら、同居する、施設に入れる、という2者択一もいやだ。
他にも選択肢はあるかもしれないじゃないか。

高齢者を十把一絡にした福祉政策は、高齢者を幸せにしない。
高齢者にだって個性はあるのだ。


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