いしぷろ日記

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「私を育ててくれた言葉」No.10 (フェイスブックより)

何年か前、元サッカー監督の岡田武史氏の講演を聴いたことがあります。
私は三浦和良ファンだったのであんまり岡田氏にはいい印象を持っていなかったのですが、
その講演ですっかり岡田氏のことを好きになりました。
と言いつつ、話の内容は例によってほとんど覚えていないのですが……。

一つだけ覚えているのが、大きな決断をするときに何を基準にするかという話です。

彼は言いました。
「自分の好き嫌いで選ぶのは間違っている。それはだれでもわかるだろう。
では正しいか正しくないかで選ぶのか。これも違う。
ある者にとっての正義は別の者にとっても正義とは限らない。
それは世界の紛争を見ても明らかだ」と。

では何で判断するのでしょう。
彼は続けました。

「それは人として美しいかどうかだ」

なるほど。それは確かに納得できる、と思いました。
とはいえ美意識も普遍的とは言えないかもしれません。
日本の腹切りの美学を欧米人が理解できないように。

でも、この考え、私は気に入りました。
卑怯なことはしない、自分だけ得しようとしない、言い訳しない……、
だって、人として美しくないんだもん!!! 

ひとつ物差しができると、いろんなことにあまり迷わなくなりました。
岡田氏に感謝。

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「私を育ててくれた言葉」No.9 (フェイスブックより)

20代の初め、まだ自分の仕事を模索していた頃、
とあるデザイン事務所にデザイナーとして勤めていたことがあります。

当時はまだDTPというものはなく、
デザイン原稿は写植をハサミとノリで切り貼りして作っていました。
師匠は、1ミリ幅のスペースに烏口(カラスグチ)で線を10本引けちゃったりとか、
0.1ミリの写植のズレを目測で見つけたりとか、とにかく神業級の職人。

仕事には厳しく、怒りかたもハンパなかった。
何かへまをしようものなら怖いのなんのって。
何度も怒鳴られ、また怒鳴られるのではという極度の緊張感が、
ふだんならしないような失敗まで引き起こし、さらに怒鳴られる。
まさに無限地獄というありさまでした。

さすがにオレって厳しすぎ?とでも思ったのか、師匠はあるときこう言いました。

「面と向かって叱られるのはありがたいと思いなさい。
これがクライアントだったら、黙って仕事をくれなくなるだけだよ」と。

返す言葉もありません。

確かにそれは、背筋が凍るほど怖い。
フリーランスになってからは特に身にしみる言葉です。

「私を育ててくれた言葉」No.8 (フェイス・ブックより)

第一子出産後、生涯で一度だけ専業主婦をしましたが、
仕事がない人生は私には堪えられないと思い知り、1年後に再就職。
しかし、育児との両立のあまりの過酷さにこれも1年で挫折。

さあ困りました。
資格も特技もない子持ち30過ぎの女子に再就職口などありません。

そこで、元手のいらないライターになろうと企画書片手に出版社に売り込みに出かけました。

紀尾井町のとある出版社に行ったときのこと、
自分より明らかに若い編集者は、企画書を一瞥するとこう言いました。

「文章のうまい人なんて掃いて捨てるほどいるんですよ。
文章力より取材力。あなたは取材ができますか?」。

圧倒されて言葉の出ない私に彼はさらに言いました。

「なんでも書かせてくださいという人が一番困るんですよ。
でもあなたは企画書を持ってきたからまだ見どころがある」。

かといって仕事をくれるわけではなく、
「ふん、こんなところこっちからお断りだよ」と強がりを言いながら帰って来ました。

が、その後一番に仕事をくれたのがその編集者だったのだから人生はわかりません。

「うちじゃこういう企画やらないよ」と言われたあの企画とほぼ同じネタが
雑誌で特集されることになり、書き手がいない。
そういえば、売り込みに来た人がいたよね、という話になったそうな。

私が今ライターで食べているのはあの編集者のおかげ。
そして「文章力より取材力」は今も座右の銘です。

「私を育ててくれた言葉」No.7 (フェイス・ブックより)

小さな頃から悪ガキで(チェッカーズの歌みたい!)、成績は1と2ばかり、
ギリギリ高校に進学するも、問題児なのは相変わらず。

卒業後は海外で放浪したりあやしい仕事をしたり。

そんなUさんは今はベンチャー企業の社長なのですが、Uさんを取材したときに、
記事には書かなかったけど、いたく感動した言葉があります。

「今どき、大学を出て就職をする人の方が大半で、中卒で働く奴なんて
クラスに一人か二人もいない。ってことは、オンリーワンかオンリーツーになれるやん」。

当時、息子1号が荒れて、連日学校から呼び出され、
入学したばかりの私立中学を退学するのしないので苦悩の日々を送っていた私にとって、
それは衝撃的な言葉でした。

「そっか、そういう発想もあるんだ」と。

大学なんか行かないという息子をどうしたものか、
こいつもう完全に負け組じゃんと頭痛のタネだった息子のことを
「何でもいいじゃん、好きなこと、どーんとやっちゃえ」と全部受け入れられるようになりました。

そして、その日から息子との毎日は、スリルと笑いの日々に変わったのです。

それもこれも、Uさんのあの言葉のおかげだなあと思います。

「私を育ててくれた言葉」No.6 (フェイス・ブックより)

数年前、カンボジアで地雷を撤去する仕事をライフワークにしているという
雨宮清さんを取材したことがあります。

中卒の労働力は金の卵と言われた時代に上京し、苦労の末建設設備会社の社長になったいきさつは胸を打つものでしたが、今の仕事を始めた経緯を聞いて私はさらに感動しました。

雨宮さんは、47歳のときカンボジアで出会った少女に
「日本はお金持ちの国でしょう? だったら私たちの国から地雷をなくしてください」と懇願されました。

絶対無理だと思ったけど、少女の言葉が忘れられず「自分は技術屋だから技術でできることをしよう、この仕事に半生をかけよう」と帰りの飛行機の中で決意したそうです。

以来、地雷撤去機の試作を重ね、投じたお金は10億超。「失敗したら命がないから」と試運転は決して部下にはさせませんでした。

今、雨宮さんの作った機械が世界中の地雷を撤去していますが、すべての地雷がなくなるまでには1000年以上もかかるそうです。

雨宮さんの話を聞いて、私も半生をかけていいと思うような仕事に出会いたいと心底思いました。

まだ出会いませんが、いつも仕事をしているとき、頭の片隅でそのことを考えています。

「私を育ててくれた言葉」No.5 (フェイス・ブックより)

以前も登場したF子さんの話。
彼女は、バリキャリウーマンというよりは、おっとりとした優しい印象の人なのですが、
ステージに立ってプレゼンするときは堂々としていてとってもカッコイイ。

私は人前で話すのが苦手でいつもおどおどしてしまい、そんな自分がすごく嫌だとF子さんに言ったら、
「私だって本当はびくびくものなのよ。でも、自分でも緊張してるなって思ったら、まず背筋を伸ばしてゆっくりとまわりを見回すの。そして、意識して動作をゆっくりにして、話し方もゆっくりにする。そうやって自信のあるような雰囲気を作るのよ」とF子さん。

これ、いただき、と思いました。「自信に満ち、堂々としている自分」というキャラを設定して、そこに自分を合わせていく。形から入るってことなのでしょうか。

これは案外うまくいきました。ゆっくりと自信に満ちた自分の声を聞くうちにどんどん気持ちが落ち着いてきて、よっしゃいける!という気分になってきます。逆に、おどおどして、バタバタちょこまか動くと、それにつられるように焦りがつのってきて、どんどん悪い方へと展開してしまうのです。

ここ数年、人前で話す仕事が多いのですが、なんとかこなせるのはF子さんのあの言葉のおかげです。

「私を育ててくれた言葉」_閑話休題 (フェイス・ブックより)

このシリーズでは、私が影響を受けた人たちの忘れられない一言を、
思いつくままに書きとめています(尊敬する作家の櫻井秀勲先生のアイデアを拝借しました)。
その顔ぶれを見ると、40過ぎてから出会った人が多いことに気づきました。
もっと前のことは忘れてしまったということもありますが、
おそらく、20代30代の生意気盛りには、人の言葉に素直に耳を傾ける度量がそなわっていなかったのでしょう。
素直さがないということは、人生でずいぶん損をするものだなあと今さら悔やんでおります。

「私を育ててくれた言葉」No.4 (フェイス・ブックより)

ずいぶん前、何人かの男性に、「こんな女性と仕事をしたい」というテーマで寄稿してもらったことがあります。男性目線で、できる女性の条件とは何かを語ってもらう企画だったのですが、どのコメントも「ふむふむ、なるほど」とためになることばかり。なのに今、その中の一つも思い出せないのだからあきれてしまいます。

でも、ただ一つ、覚えている一文があります。それは、出版プロデューサーのY氏の原稿だったのですが、
1)美人であること、2)気が利くこと、といった項目がいくつか並べられていたと記憶しています。

そして、最後にこう書いてあったのです。「しかし、笑顔はそれらすべてを凌駕する」と。
つまり、いろいろ言ったけど、それらが全部なかったとしても、笑顔さえ素晴らしければオッケーだよと。うーむ、うなってしまいました。

「どうせ女の子には愛敬しか求めないんでしょ」というイジワルな見方もできますが、私はYさんのあたたかを感じました。小さな欠点には目をつぶって、いいところを見てあげるよ!というメッセージが伝わってきたからです。

この言葉は本質をついているとも思いました。有能だけどムスっとしている人よりも、少々ドジでも笑顔が気持ちのいい人と仕事をしたほうが楽しいし、いい結果も出せるものです。

Y氏はそのことを知っていたのだと思います。

「私を育ててくれた言葉」No.3 (フェイス・ブックより)

だいぶ前にブログにも書いたネタで恐縮ですが、
もとの上司K氏のことは忘れることができません。
当時私はまだ20代の生意気盛り。

その頃のことを思い出すと気絶しそうに恥ずかしいのですが、
K氏を思いっきり怒らせてしまったことがあります。

「なんなんだこの女は!」と怒鳴りつけられ、さすがに悪かったと思って、夜になってご自宅に電話しました。

するとK氏は「わざわざ電話なんかしなくていいのに」と笑っていましたが、
次の日に会社に行くとこう言いました。
「人間関係っていうのはね、最悪になったときから始まるんだよ」と。
感服いたしました、と頭を垂れるしかありません。
私の無礼をあっさり許し、もう一度チャンスをくれたのです。

その後、私はフリーになり、数年ぶりに会社を訪ねたとき、
ひと目でガンとわかるやせ細ったK氏の姿に胸を衝かれました。
「医者に、いくら食べてもやせるんですよと言ったら、そりゃそうだよ、ガンってそういう病気だものと言われたよ」と豪快に笑っていたK氏。

残された時間、最愛の奥様と海外旅行に行き、遺影を撮り、海辺のホスピスを終の棲家と決め、万端整えたのち、すっと遠くに行ってしまわれました。

「私を育ててくれた言葉」No.2 (フェイス・ブックより)

F子さんは海外でも活躍するフリーランスのプランナーです。
会うと元気が出たり、新鮮な視点を与えてくれるので、ときどきむしょうに会いたくなる人です。

40も後半に入ったころ、
「これをするために私は生まれてきたんだ!と思えるような、意味のある仕事をしたい」と悩んでいて、
F子さんに相談するともなく相談したのですが、
そのときF子さんはいつものように落ち着いた声でゆっくり言いました。

「でもねえ、子どもたちを世の中に役立つような人に育てることが、
なによりのりっぱな仕事だし社会貢献じゃないかなあ」と。

ぴしっと仕事をしているF子さんのことしか見たことがなかったのでびっくりしましたが、
そういえば、彼女も実は3児の母でした。

そういうことをフツーに言える自然体な働き方が、ほんとうにF子さんはカッコイイ。

忙しい日が続いて、子どもの世話を面倒だなぁと思うときは、
いつもF子さんのあの言葉を思い出します。

「私を育ててくれた言葉」No.1 (フェイス・ブックより)

尊敬する先輩女性のY子さんは、まさに名言メーカーのような人なのですが、
Y子さんに言われて私が実践していることの一つに、
「えびでタイを釣ったと思わせるような仕事をしなさい」というのがあります。
ギャラがこれだけだからこの程度の仕事でいいやという働き方はするな、
「え、このギャラでここまでしてくれたの!?」と相手が驚くような仕事をしなさい、という意味です。
これを聞いて感銘し、以来ずっと心がけています。
会社に属している人ならもしかしたらそういう働き方は
「コスト意識がない」と言われるのかも知れませんが、
フリーランスの私の場合、一つひとつの仕事に全力を尽くすことは、
最も簡単で確実な営業活動とも言えるのです。
でもそれ以前に、人間としてカッコイイ!と思ったから続けているのだと思います。
と言いつつ、「そんな気合いのはいった仕事してもらっったっけ……」
というクライアントさんがいたらごめんなさい……。

「私を育ててくれた言葉」No.0 (フェイス・ブックより)

世の中には言葉のセンスが抜群にいい人がいるもので、
その人の名まえを取って「○○語録」を作りたい!と思うような人に
しばしば出会います。
そういう人たちの言葉に私は育ててもらったようなものです。

今の私があるのはその人のおかげ、と思えるような人が
たくさんいるのは幸せなことです。
いちいちメモを取っておかなかったのが悔やまれますが、
そうか、FBにメモしておけばいいんじゃん!! ってわけで、
これから、私の大好きな人たちの言葉を思い出しては書き留めておこうと思います。

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