いしぷろ日記

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つれづれ連載第10回「フリーライター20年やってます」今度こそデビュー

 副編集長のYさんに呼ばれて、再び訪れた某女性誌の編集部。打ち合せに現れたのはYさんではなく大学を出たばかりの若い女性編集者(R嬢としましょう)でした。

 世間話もなしに切り出された要件は、次号の企画の概要と、私が書くべき半ページほどの記事の内容。あこがれの雑誌の最初の仕事だというのに私はその内容をほとんど覚えていません。というのも、R嬢がそのあと言った言葉があまりに衝撃的だったから。

「じゃあ、どんどんアポをとって取材を進めてください。カメラマンはいつも組んでいるかたがいらしたらその方でもいいし、うちで手配してもいいですがどうしますか?」

「え、どんどんアポを取るってどうやって!? 取材進めるって一人で!? 原稿はどうやって書けばいいの!? いつも組んでいるカメラマン? そんなのいないっすけど!!」
 そんな言葉が私の小さな脳みその中を忙しく駆け巡っていました。

 今さら、「一人で取材なんて行ったことないです」とは言えない!!
「あ、そう、いつものようにやればいいのね、楽勝!」というような顔をして乗り切るしかありません。
「わかりました、カメラマンは御社のほうでご手配ください」
そう言って立ち上がりました。

 こうなったらさっさと仕事を始めるしかありません。締切まで2週間もないのです。

 家に帰り、かたっぱしから電話をかけまくる。取材の依頼をする。「企画書を送れ」と言われて、あわてて作る、送る! 担当者は不在と言われて再コールする、断られる、またかける!
 アポを取るということだけで、私は多くを学びました。
 依頼の電話をする前に企画書を作っておくこと。送れと言われたら即送れるように。
 いつ誰に電話をしたか、どの人は不在のため再コールだったか、再コールは今日なのか明日なのか……続けて電話をしていたら忘れてしまうので、リストを作って電話のやりとりもすべてメモしておくこと、担当者は名字しか教えてくれなかったらフルネームを聞いて漢字も聞いておくこと(そうしないと、企画書にひらがなで宛名を書く羽目になってしまう)、メールアドレスも聞いておくこと(そうすればあとあとずっと情報源として活用できる)、などなど。

 同時に、その雑誌のバックナンバーを広げて似た企画の原稿を読み、どういう文体でどういう構成でまとめるか頭に叩き込む。ダメダメな原稿を書いて出したら2度目はないと教えられるまでもなくわかっていましたから。

 そして取材に行き、取材をし、原稿を入れたのだろうけど、そのあたりのことは全く覚えていません。署名入りの記事が載ったはずですが、どんなページだったのかも全く記憶にない。嬉しかったかどうかすらも。

 ただ、その雑誌の仕事はその後も副編集長が変わるまで続いたのでした。

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つれづれ連載第9回「フリーライター20年やってます」3たび売り込みす

 年初に、今年の目標を20項目くらい書いたのですが、そのうちの一つが、「ワークライフバランス」。が、年明け2週間にして、有名無実な目標に。なんかめちゃ忙しい!!! でも、「休みがほしい」なんて言ってはバチがあたります。駆け出しのフリーライターの頃、手帳が取材でびっしり埋まっている先輩ライターを見て「いいなー、私もあんなふうになりたい、、」と思っていたことを振り返ると、夢がかなったと言うべきで、これは本当にありがたい。いつも応援してくださっている皆さん、本当にありがとうございます!

 さて、チタンのような女と言われた私が、出産後せっかく得た仕事を断念したところまでお話ししました。
 ここまで読んでくださった人の中には、そろそろこんな疑問をお持ちになる方もいるんじゃないでしょうか。
「夫は何をしていたんだ」と。
 これもそのうち書こうと思います。
 ワーキングマザーを続けようと思ったら、「夫とどう折り合いを付けるか」は絶対避けて通れない道。そもそもこの連載は、私と同じようにフリーランスで子育てと仕事を両立したいと思う人の参考になればと思って始めたわけだから、そこもはずせないのかなと。まあ、あの失敗例に学べ、みたいな内容になるかもしれませんが。。

 だいぶ話が横道にそれました。
 
 売り込みの話にもどりましょう。
 ファッション雑誌に売り込みに行ったのと同じ頃、女性のキャリアアップがテーマの、ある雑誌の編集部に売り込みに行きました。

 実はそれが一番書きたい雑誌でした。

 連絡先を調べ、まずは手紙を書き、手紙が着く頃に電話をしてアポをとる。いつものパターンです。
 雑誌の裏表紙には、編集部の住所と、編集長の名前(男性)、そして副編集長の名前(女性)がありました。ここが私のチキンなところですが、男性の編集長に連絡をするのはなんか怖い、連絡するなら女性の副編集長のほうにしようと思いました。

 これは後から思えば正解でした。大所帯の編集部にはありがちですが、実際に雑誌のことをすべて掌握して現場を仕切っているのは編集長ではなく副編集(しかもデキる女性)ということが多いのです。弱気な性格が幸いして、私はいきなりキーマンに会うことができたのでした。
 
 ファッション雑誌のときと同様、ワーキングマザーについての特集の企画書と、作文のような原稿を携えて、副編集長のYさんを尋ねました。
 ひととおり私の話を聞いたあと、Yさんは言いました。
「こういう企画、私もやりたいんだけど、あまり売れないのよねぇ」

 Yさんは、ご本人曰く、“この業界ではおそらく唯一の” 結婚・出産後も働いている副編集長。自分もまさにワーキングマザーとして奮闘しているのでやりたい企画だけれど、そのテーマに該当する読者も、関心のある読者もいないだろう(20年前はそうだったのです!)と。売れない企画をやるわけにはいきません。
「せっかく来てくれたのに悪いんだけど」と、帰されてしまったのでした。

 ところが、これまた忘れた頃に、編集部から一本の電話がかかってくるのでした。(まさかの、同じパターン!)

つれづれ連載第8回「フリーライターやってます」~ごめんね100連発の苦い思い出

 フリーライターへの道は、振出しに戻ってしまいました。
 で、次なる売り込みに出かけるわけですが、もう少し、最初の仕事のことで書いておきたいことがあります。

 初仕事に舞い上がっていた私のもとへ、記事を読んだという知人から電話がありました。
 記事を読んで、「不覚にも泣いてしまった」と、その友人は言いました。
 まだ何か言いたそうでしたが、私はあわてて話題をそらせました。
 照れくさかったのかもしれないし、辛かったことを思い出してしまうのが嫌だったのかもしれません。いずれにせよ、初めての「読者の感想」をみすみす聞かずにすませてしまったことを少し後悔しています。

 友人が「泣いてしまった」というのは、私が再就職した会社を辞めることになった事情を書いたくだりだろうと思いました。
 子育てが大変だったという話をしようと思えばいくらでもネタはあるのだけど、そういう話をここでするつもりはありません。ただ、あのときの事情だけはすこし振り返ってみようと思います。

 再就職した私は、ある企業の外部スタッフとしてコンサルティング業務に携わっていました。会議やリサーチのために外に出ることが多く、帰りの時間も不規則になりがちでした。しかも、小さな会社だったので代わりの人もいません。子どもが熱を出すようなことがあったら大ピンチ。ギリギリの綱渡り生活でした。
 でも、せっかく得た仕事です。新規事業を担当させていいただき、期待されているとも感じていました。もともと熱血タイプだし、「がんばるっきゃない!」ってな気分でした。

 あるときついに子どもが熱を出しました(あるあるネタですね……)。1日仕事を休み、翌日も熱は下がりません。その日は取材のアポがありました。代わりはいないしリスケも難しい。無理にでも子どもを預けて出かけるしかありません。
「もう熱、下がりました!」
 有無を言わせぬ勢いで、保育士さんに子どもを渡し、逃げるように保育所をあとにしました。

 仕事を終えてお迎えに行くと、保母さんはカンカン。
「こんなに熱があるのに預けて。子どもが死んでもいいの?」
 娘は熱でまっかな顔をして、ぼうっと天井を見つめていました。
 ごめんね、ごめんね、ごめんね……。心の中で、ごめんね100連発してぷっちんと緊張の糸が切れました。
「あ~、もう無理。やめよう」
 (鉄の女ならぬ)チタンのような女と言われた私の敗北宣言でした。

 失敗の理由はいろいろあります。
 最初から、万一にそなえてベビーシッターを探しておくとか、病児保育室を探すとか、いざというときには仕事を代わってもらえるよう根回しをしておくとか、いろいろやることあったはずなのです。「なんとかなる」と根拠のない自信で、何の手立ても打たなかった私が悪い。

 でも、リベンジをする気力は私には残っていませんでした。

つれづれ連載第7回「フリーライターやってます」~フリーライターとしての初仕事

 フリーライターとしての私の初原稿は、署名入りで印刷され、書店に並びました。
 印刷された記事の中に自分の署名を見ることは、ライターを志す者すべての憧れだと思います。夢が一つ叶った、と思いました。

 4ページの記事の中には、Sさんが発注したのでしょう、イラストも入っていてなかなか素敵な仕上がりでした。イラストは、スーツを来た母親が「”○○ちゃんのママ”じゃなくて、一人の女性として見てほしいのよ!」と仁王立ちして息巻き、言葉のわからない赤ん坊が困惑して母親を見上げているというコミカルなもので(と記憶していますが微妙に違うかも。なにしろ20年も前のことなので)、肩に力のはいったワーキングマザーを揶揄する気配を感じなくもなかったのですが、働く母の本音と、当時の世間の働く母に対する見方をうまく表したものだったと思います。

 ところで、与えられた行数の倍も書いて出した原稿はどうなったのか。
 Sさんがバッサリと削ってきっちり予定の行数に収めてくれたのでした。
 最初は「どこも削りたくない!」と思っていたはずなのに、完成原稿は、どこが削られたのか自分でも一瞬思い出せないくらい自然な仕上がりでした。つまり、なくてもどうってことない部分がそれだけいっぱいあったということです。
 雑誌ができあがったあとに、Sさんは
「いやー、さすがに倍はきつかったっす」
と怒っているふうでもなく言いました。
 雑誌ができて浮かれていた私は、格好をつけてバカな自己主張を試みました。
「でも、あれはどうしても言っておきたかったんです!」と。

 今の私だったら、そんなことを言うライターがいたら
「あんたが言いたいことなんてどうでもいい。問題は、読者がそれを読みたいかどうかでしょう!」
と一喝したでしょう。

 プロの書いた原稿と素人の書いた原稿との大きな違いはなにか。
 それは、「読者」を意識しているかどうか。

 書き手が言いたいことだけを、相手のことなどおかまいなしにだらだら書いた原稿を読まされるのは辛いものです。プロたるもの、そんな原稿を世に出してはいけないのです。

 それがわからなかった。

 そのせいかどうかはわかりませんが、その後Sさんからは一度も仕事の依頼はありません。

 昔、20代の初めに勤めていたデザイン事務所で師匠に言われて未だに覚えている言葉があります。
「ダメな仕事をして叱られるのはありがたいと思いなさい。たいていのクライアントは黙って去っていくだけだよ」と。

 Sさんは、文字通り、黙って去っていったのです。

つれづれ連載第6回「フリーライターやってます」~初めて仕事を得る

 その電話とは、特集の一部を手伝ってほしいというものでした。
 特集タイトルは「母になる」。
 忘れもしません。

 ついこの間、売り込みに行ったとき、彼は
「ワーキングマザーものの企画なんて、うちでは絶対にやらない」と言っていたのです。

 そこにふってわいたこの企画。

 編集部には、子持ちの女性は皆無。結婚している女性すらいない。外部のライターを当たっても同じ。これではリアリティのある企画にならない。そういえば売り込みに来たライター(おばさん?)が子持ちだったよね……。それで、私のことを思い出したというのです。

 男女を対象とした育児休業法が施行されたのが1992年。私が出産をしたのはその翌年でしたが、周囲には育休を取得して復帰した人はいませんでした。寿退社という言葉は死語になりつつありましたが、もといた会社にも子育て中の女性は皆無。一般企業ですらそうだから、時間外勤務も多い出版業界にワーキングマザーがいなくても不思議はありません。
 でも、そのおかげでチャンスが巡ってきたのです。

 私が担当することになったのは、全十数ページの特集のうち4ページ。

 自分の体験談を書いてもいいけれど、それだけではつまらない。客観性を持たせるために、一人でいいから事例を取材して入れましょうということになりました。取材相手は私の知り合いでもいいとのこと。

 今だからわかりますが、その編集者は(Sさんとしましょう)は、親切にも素人の私でもできそうな企画を考えてくれたのです。自分の体験談と知り合いの取材だけで4ページ書けばいいなんて、こんなラクな企画はありません。しかもSさんは、取材にもついてきてくれました。
 そのときは彼の心遣いにまったく気づかなかったけれど、Sさんのおかげで私はフリーライターとしての一歩を踏み出せたのです。

「文章力より取材力」
 その言葉の重さにも気づかないまま、一足先に出産しフリーランスで働いていた先輩ワーキングマザーを訪ね、ママ友と雑談でもするような気持ちで取材をし、原稿執筆に取り掛かりました。

 原稿はすらすらと書けました。すらすらいきすぎて、○文字×○行で、と言われていた文字数をはるかに超え、行数は、きっちり倍をカウントしていました。
 削らなければならないけど、どこも削りたくない。え~い、このまま出しちゃえ!

 プロのライターなら、上手い下手以前に絶対に守らなければならないことが2つあります。
 一つ、締切を守ること、二つ、与えられた行数を守ること。

 私は初仕事で、この掟を破ってしまったのでした。

つれづれ連載第5回「フリーライターやってます」~ライターになるまで~その4

「文章力より取材力」
 その編集者の言った言葉の深さを、ライターとなった今、日に日に実感していますが、そのときは、「?」という感じでした。
「取材って、人に会って話を聞いてそれを文章に書くだけのことでしょう? そのくらいできますけど」ってな気持ちでした。もちろん声には出さず心の中で言ったのですが。

 取材力とはなんぞや、という話はまたあとでしようと思いますが、次に彼はこう言いました。
「あなた、本当にこんな時代が来ると思っているんですか」
 私が持ち込んだ企画書を見ての感想でした。

 その企画はというと詳細は覚えていませんが、メールを使って在宅勤務ができれば子持ちの主婦でも仕事ができる時代になるといった内容で、いかにも行動半径500mの子育て主婦らしい、自分目線オンリーの企画。今思うと恥ずかしいのですが、「こんな時代が近々来るはずなどない」というその編集者の意見には、こちらこそ「あなた本当にそう思っているんですか」と言いそうになりました。

 当時、1990年代はじめと言えば、日本でもインターネットという言葉がちらほら聞かれていたし、まだまだ電話が主流とはいえ、メールを使うことも一般的になりつつありました。出産前まで勤めていた会社ではテレワークの研究をする部門もありSOHO(Small Office Home Office)という言葉こそなかったものの(いや、あったかも知んないけど)、そういう時代は絶対に来るという確信がありました。

 つまり、私の企画はめずらしいものでもなんでもなかったわけなのですが、編集者に相手にもされなかったのは企画が”目新しくない”ためではなく、”目新しすぎた”からなのでした。

 たぶんその頃、出版業界は最もIT化が遅れていた業界の一つだったと思います。その後まもなく一般企業では普通にメールでデータをやりとりするようになりましたが、出版社では未だフロッピーディスクに入った原稿をバイク便で受け渡ししていました。出版社の入口あたりには原稿待ちのバイク便がずらっと並んでいたものです。
 
 とにかく企画は没。売り込みは空振りに終わったのですが、最後に編集者はこんなことをいいました。
「何でも書けます、という人が一番困るんですよ。これしか書けないという人のほうがまだマシだ。あなたの場合、企画書を持ってきただけまだ見どころがある」
 かといって仕事をくれるわけでなし、こんなところ、こっちからお断りですわ!と心の中で強がりを言いながら編集部をあとにしました。

 ところが一カ月も経たないうちにその編集者から一本の電話がかかってきたのです。

つれづれ連載第4回「フリーライターやってます」~ライターになるまで~その3

 30過ぎ、子持ち専業主婦。特技なし。コネなし。友だちなし。マンションの一室で一人密室育児に明け暮れ、この生活から抜け出すためになんとしてでも仕事を得たいと思った私は、フリーライターになるべく出版社に売り込むことを思いつきます。

 なぜライターかというと、書くことが好きだったということもあるのですが、「元手もいらず、鉛筆一本でできる」となにかで読んだから。一応美大を卒業していて、MackintoshでDTPデザインもできたのでデザイナーという道も考えたのですが、当時はOSもアプリケーションも1年もたたずにバージョンアップを繰り返していて、その都度ソフトばかりかプリンタやスキャナーなど周辺機器も買い換えねばならず、出費がハンパなかったのです。

 それともう一つ、フリーランスを目指した理由があります。

 話が前後しますが、私は第一子出産の数か月前に会社を辞め、その後一度、縁あって再就職をしたことがあります。夫婦二人で経営している小さな編集プロダクションでした。社長は、前の会社にいたときに何度か会ったことのある人で、新規事業を始めるので手伝ってほしいと言うのです。子どもはまだ生後10カ月。育児だけで精一杯の私が会社勤めなんかできるはずがない。躊躇する私に社長は言いました。「妻も育児と仕事の両立を経験してきたから、いいアドバイスができるだろう」と。
 電話口に出た社長の奥さんは、「子どもが1歳になってから、3歳になってから、小学校に入ってから、なんて言ってたら一生復帰できないわよ」と私を叱咤し、保育園の探し方から手続きの仕方に至るまで丁寧に教えてくれました。
 その人がいなければ、私は専業主婦のままだったでしょう。指示どおり、無認可の保育園をなんとか見つけ、私は仕事に復帰しました。
「ああ、また働けるんだ!」
 久々にスーツを着て電車に乗ったときの誇らしく嬉しい気持ちは今も忘れることができません。

 それなのに、私はその会社を、1年足らずで辞めてしまいました。この顛末は、あとで書こうと思いますが、仕事と育児の両立は過酷のひと言に尽きました。

 あれだけよくしてくれたのに続けられなかったのだから、もう会社員として働くのは無理だろう。でも、仕事はしたい。となると、残された選択肢はフリーランスしかありません。
 大げさですが、気分は背水の陣。
 度胸のない私が飛び込み営業をできたのも、後がなかったから。

 さて、車雑誌の売り込みに敗れた私が次に訪れたのは、あるファッション雑誌でした。
 数あるファッション雑誌の中でもその雑誌は、ファッション記事よりも文芸や評論など文化面が充実していて読みごたえがありました。他のファッション雑誌には興味はありませんでしたが、この雑誌には書きたいと思いました。
 で、ジーコジーコと編集部に電話をかけると、男性が電話口に出ました。
「えっと、あの、企画を持ち込みたいのですが、そういうのご担当している方はいらっしっしゃるでしょうか……」
みたいなことを言うと、
「私でもお聞きできますが」
と、これまたあっさりアポが取れました。
 あとでだんだんとわかってきましたが、編集者という人種は好奇心が強く、常にネタを求めているので、こんなへんてこな電話でも案外厭わず聞いてくれるのです。もちろん迷惑がられることもありますが。

 数日後、数ページの企画書と2000文字くらいの原稿を携えて編集部を訪ねました。相手は30になるかならないかの若い編集者でした。
 私が全くの未経験者だということを確認すると、彼は私の持って行った原稿に一瞥もくれず言いました。
「文章がうまい人なんて掃いて捨てるほどいる。大事なのは取材力です。あなたは取材ができますか?」

つれづれ連載第3回「フリーライターやってます」~ライターになるまで~その2

 ペーパードライバーの私が何を血迷ったか車雑誌に飛び込み営業に行き、撃沈。
 その後、相も変わらず子育てに奮闘する専業主婦暮らしを続ける私のもとに、編集部から一本の電話がかかってきました。
「ちょっとお願いしたい企画があるんだけど」
 売り込みに行ったときに同席していた編集者の声でした。
 その企画とは……。

 自分の車で鈴鹿サーキットまで行き、サーキットをぐるぐる走って、その体験談を書くというもの。いわば素人耐久レース突撃ルポ。「車、ダメになってしまうかもしれないけど……」ってそんなー。
 私は子どもの通院や送迎で仕方なく運転を始めたものの、車が怖くて仕方がありません。こんな私がそんなレポート、できるはずがない!!

 何か困難な課題が与えられたときは、即座に「はい!やります!」と答えなさい、やり方は後から考えればいい。

 だれが言ったか、カッコよくて好きなセリフなのですが、そのとき即座に出てきた言葉は、「む、無理です」でした。
 以来、その編集部からは一度も連絡はありません。

 あのとき、無理にでも「やります!」と返事をしていたら、人生は変わっていたのでしょうか。
 
 その後、ここまで極端ではないですが、ちょっと今の私の能力では無理かも、と思うような仕事の依頼が来たことは何度かあります。でも、腹を決めて引き受けてみると、なんとかできてしまうものです。そうやって「半年前の私だったらこんなことできなかったよな」と思うような仕事を一つひとつ積み重ねてきました。単行本の編集も、講師の仕事も、自分がやれるとは想像だにしていませんでしたが、今は普通にこなしている自分に驚きます。

 仕事が自分を育ててくれたのです。

 そう考えると、どんな仕事でも断らずやってみるというのは正しい選択だと思います。
 でも、あの素人耐久レースは、今考えても無理だったかな……。
 
 あとから思えば、私はあの編集者に試されたのかもしれません。「このおばちゃん、どのくらい本気なのか」と。

 「働きたいです、私何でもやります!」「専業主婦だってやる気もあるし、能力もあります!」と言う主婦はたくさんいます。自分が仕事をするようになってからも、そういう人に何人か会いました。

 何かその人の自立のきっかけになればと、仕事をお願いしたこともあります。でも、「子どもが熱を出して……」「自分の能力ではやっぱり無理でした」などなどの理由で、土壇場になって投げ出す人も多く、私はだんだん慎重になりました(もちろんちゃんとやり遂げる人もたくさんいますよ!)。
 それを考えると、試されてもまあ仕方がなかったかな。

 さて、車雑誌での売り込みに敗れた私が次に訪れたのは、あるファッション誌の編集部でした。
 

つれづれ連載第2回「20年フリーライターやってます」~フリーライターとなるまで~その1

フリーライターになるのは簡単だ。名刺の肩書きに「フリーライター」と書けばその日からなれる、とはよ聞く言葉です。確かにそうかもしれませんが、いくら自称しても"書く場所"がなければ空しい。
 書く場所とは、ブログやフェイスブックなどではなく、たとえ小さくても、ちゃんとお金をもらって原稿を載せてもらえるスペースのこと。これを得るのはそう簡単ではないと思います。

 さて、私はどうやって書く場所を得たのでしょうか。

 最初は売り込みでした。少しでも出版や編集の現場を知った今になるとあんな恥ずかしいことをよくやったなと思いますが、コネなし、経験なし、知識なしの私にはそれ以外の方法を思いつきませんでした。

 売り込みでフリーライターになったと話すと「リストをつくってかたっぱしから訪問したのですか? 何件くらい回ったのですか」と聞かれ、なるほどそういう方法もあったかと思ったのですが、私の場合は、「この雑誌なら書きたい」と思う雑誌の編集部を訪ねるという発想しかありませんでした。すぐに思いついたのは3誌。訪ねたのも3誌だけです。「飛び込み営業なんて勇気がありますね」ともよく言われるのですが、たった3誌ではいばれませんね。私だってそんなに度胸はないのです。

 3誌のうち1誌は車雑誌でした。ペーパードライバーの私がなぜ車雑誌などに売り込みに行ったかというと、その雑誌は、車雑誌でありながら、カーマニア以外の人も楽しめ、おシャレでカッコよく、記事にちょっと文芸の香りがするところが何となく好きだったのです。伝説のカリスマ編集長にも会いたいと思いました。

 まずは、雑誌の最後に書いてある出版社の住所と編集長の名まえに宛てて手紙を書き、手紙が着くころに電話をかけました。1、2コールでいきなり電話に出たのが編集長とわかりビビりましたが、手紙をお送りした何某ですが、と言うと覚えていてくださって、案外あっさりアポイントが取れました。

 もう20年も前のことなので、手紙に何を書いたのか覚えていませんが、おそらく、その雑誌のどういうところが好きで、自分はどんなものを書きたい、というようなことを書いたと思います。記憶に残るように、レイアウトなど自分なりに工夫したとも記憶しています。

 で、約束の日時に、「フレンチカークロニクル」みたいな特集を勝手に考えて、ページのデザインイメージを作ってパネルにして神保町のその会社を訪ねました。今考えると私は、編集者とライターとデザイナーの違いもよくわかっていなかったんですね、こんなパネルを持って、ライターにしてくださいと乗り込むとは本当に恥ずかしい。先方の困惑した表情の意味が今ならよくわかります。
 一通り、話を聞いてくれたあと、編集長が、スタッフの一人に「何か出してあげたら」とぽつりと言いましたが、気まずい沈黙がながれただけ。
 「やっぱだめか~」と帰宅したのですが、数日後、その編集部から一本の電話がかかってきたのでした。

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つれづれ連載 第1回目「20年、フリーライターやってます」

「ライター講座」とか「編集講座」といったタイトルで、都内各地で講師をさせていただくようになって6年が経ちました。なぜ私のような無名のライターが講師に?という問題はさておき、毎回驚くのが、「書くことが好き」「文章を上手に書けるようになりたい」、そしてあわよくば「書くことで稼げるようになりたい」と思っている人が相当数いるということ。

 講座に参加される方の多くが子育て中の主婦ということもあるのだと思いますが、「子育てしながら在宅で好きな文章を書いてお金になれば……」という気持ちはわからないでもありません。私も、3児の母と仕事を両立してこられたのは、フリーランスという働き方だからこそだと思っています(ただ、私は20年フリーライターをしていますが、ほとんど毎日取材や打ち合せで外に出ますし、子どもより締切優先が前提なので、決してラクに仕事と子育てを両立できたとは言えませんが)。

 講座で「20年フリーライターをやっています」と言うとよく聞かれるのが、「どんな雑誌に書いているんですか?」と「どうやってフリーライターになったのですか?」の2点。

 1つ目に関しては、みんなが聞いて「ああ、知ってる」と言われるようなメジャーな雑誌に書いた経験は、そんなにありません。たいていは、「何それ。どこで売ってるの?」と言われるようなマイナーな雑誌や、自分の名まえがどこにも出てこないような、企業のパンフレット、カタログ、マニュアル、公官庁の出す報告書などなど。人さまに憧れられるような仕事はあんまりないかな。でも、誰でも知っている雑誌=華やか系の仕事よりも、その他の一見地味な仕事のほうが堅実で高額な(あくまでも比較の上で)お金になるのでバカにはできません。

 2つ目の質問に関しては、これから、このブログで少しずつお話ししていこうかなと思います。でも、私は怠け者なので、毎日きっちり更新する自信がなく、それで「つれづれ連載」と逃げを打っておきました。

 「フリーライターになって稼ぎたい」と思う方のお役に立てれば幸いです。経験なし、コネなしでも諦めることはありません。私も未経験、30過ぎの子持ち専業主婦から売り込みでフリーライターになったのですから。

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