いしぷろ日記

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つれづれ連載第13回「フリーライター20年やっています」~本を出したいという夢

 若い人が本を読まなくなったとか、本が売れないと言われて久しいですが、「本を出したい」という人は減っていないのではと思います。編集者として出版のお手伝いをすることも私の仕事ですが、打ち合せに訪れて「本を出したい」とおっしゃる著者の言葉に、ただならぬ思い入れを感じることが多々あります(初めて出される方の場合とくに)。
 これって何なのでしょう。
 本を出して有名になりたいとか、印税で儲けたいとか(印税で儲かっておられる方は稀です…)とか、単なる憧れとか、そんなことでは説明のできない、なにか強い魅力が「本を出す」ということにはあるのかもしれません。

 かくいう私も、かつて「本を出すこと」が夢だったことがあります。
 実は本を出すのはそれほど難しくはありません。メジャーなところから出すのは相当に難しいですが、企画内容に共感してくれる編集者に出会いさえすれば、チャンスはあるものです。出会いは意外にひょんなところに転がっていたりしますしね。出すだけならなんとか出せる。難しいのは売ることです。無名の著者が出した本が書店に並ぶ機会も少ないし、目に触れなければ売れるチャンスもありません。そして、売れなければ2冊目は1冊目を出すよりずっと難しい……。
 単に多くの人に読んでもらいたいなら、webのほうが絶対に効率的なのですが、みんな「webじゃなくて紙がいい」という。その気持ち、私もわかります。自分の想いを形のあるものとして残したい、これが出版を夢見る人に共通の思いなんでしょうか。

 さて、フリーライターとして細々と仕事を始めた頃の話にもどります。雑誌の仕事をしつつも「本を出したい」という夢は持ち続けていました。でも一方で「絶対私には出せないよな」とも思っていました。それがあるとき、ほんとうにひょんなことから小さな出版社の社長に出会い、あっさりと本を出せることになったのです。しかも自費出版ではなく商業出版(制作費・流通費・営業費は出版社が出してくれ、一般の書店ルートに乗せていただける)で。

 それは、ある助産院で出産をした800人の方々が書いた手記の中から、100本を選んでまとめた本でした。私自身が、長女を出産するときに偶然に出会った助産師によって自然出産というものを知り、その助産院で出産をしたのです。それは自分の人生を変えるほど大きな経験(子ども嫌いだった私が、あと2人も産んでしまうという……。しかも自宅で水中出産!)となりました。しかし世の中に自然出産を知る人はごくわずか。助産院で出産する人は全体の1%あるかどうか。これは世に知らせなければと思ったのです。
 今見ると恥ずかしいくらい素人っぽい本なのですが、共感してくれる人は多く、その本で取り上げた助産院は、あれよあれよという間に埼玉県一の出産数を誇るまでになりました(そのせいで誹謗中傷もあり苦労もしたのですが……)。

 その翌年、もう一つ、本を出しました。
 子どもを持ちながら働く女性たちを取材してまとめたもので、当時、育児との両立に苦しんでいた私は、他の人はどうやってこの苦境を乗り越えているのかを取材を通じて知りたかったのです。
 企画書を作って、前回と同じ出版社に提案を出すと、これもあっさりと出版が決まりました。バブルはとっくにはじけていましたが、今ほど出版業界も厳しくはなくいい時代だったからだと思います。今なら同様の企画書を持ち込んでも、そもそも本が売れない時代だし、読者対象も限られているから売れてもたかが知れている。しかも無名の著者とあっては出してくれる出版社はほとんどいないでしょう。
 ともあれ、2冊目も今見ると素人くさくて恥ずかしいのですが、世に出ることは出ました。
 売れなくても出してみるもんだなと思ったのは、
 その本をきっかけに、ある雑誌から連載の仕事が舞い込んできたからです。

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つれづれ連載第12回「フリーライター20年やっています」~仕事が途切れないようにするためには

 仕事が途切れたらどうしよう。
 これは、すべてのフリーランスが抱えている悩みではないでしょうか。
 今、ものすごく忙しくても来月も仕事があるかどうかわからない。だから、既に目一杯仕事を抱えているにもかかわらず、キャパ以上の仕事を引き受けてしまう。
「ある、ある」とうなずくフリーランスの方、多いと思います。

 仕事が途切れないようにするにはどうすればいいのでしょうか。
 重要なのは、営業力とか人脈力ってことになるのだろうけど、私はこれがとても苦手でした(今も得意とは言えませんが)。せっかく売り込みで得た仕事も、長く続かなかったのは、営業力のなさのせいだと自己嫌悪に陥ったこともあります。
 いつも仕事がきていたところから、最近連絡がないなーと思うとき、こちらから電話をしたり、近くまできたので、とふらっと立ち寄ってもいいのだろうけど、なんか物欲しげな感じがしてできない。するとそのまんま仕事は途絶えてしまう。
 新しく人脈を作ろうと、同業者が集まるパーティに出ても自分をうまくアピールすることができない。異業種交流会のようなパーティー(しかも立食)になるともう最悪。身の置き所がなくて早く帰ることばかり考えてしまう。

 ご近所づきあいとかママ友作りも苦手で、こうなると営業力やら人脈以前に、人づきあいそのものがダメということ。これは長年の悩みで、年上の友人に相談したことがあります。「それって年の功なのよ」と彼女。「そうですか~」と答えつつ、自分は一生口下手なままなんだろうなと思っていましたが…。

 月日は流れ、気づいたら、あら、私ってばもう50代!!
 営業力はどうかわからないけど、いまや、「人と話すのが苦手で……」なんて言っても誰も信じてくれません。あれほど苦手だった立食パーティも、まったく平気な自分にびっくり。
 年の功っていうのも確かにあるのだろうけど、20年もライターをやってきて、軽く1000人は超える人を取材してきたから、未知の人と話すことに慣れてしまったのだと思います。
 未知の人に会う時の不安って、「何を話したらいいかわからない」ことだと思うのですが、話すことがなければ聞けばいい。「へえ、なにそれ?おもしろそう!教えて!」と相手のことをひたすら聞いているうちに10分、20分が過ぎている。こうなると、もう立食パーティも怖くない!! 今なら前よりもびくびくせずに営業できるんじゃないかと思います。

 しかし、一番の営業は「目の前のお客様を大事にすること」につきる。いい仕事をすれば、次にも必ず仕事をいただけるし、別の人を紹介してくれたりもする。案外これが大きくて、1年に1人新しいクライアントさんを紹介していただければ10年で10人。こうなるといつでも何かしら仕事はあり、営業をしなくても途切れることはありません。
 あとは「心を整えて縁を待つ」。仏教の先生に教えていただいた言葉です。焦って飛び込み営業をするよりもいい仕事に巡り合えて、結局は効率的、と今は思います。

つれづれ連載第11回「フリーライター20年やっています」~勢いのある雑誌とは

 ○○に詳しい有名人を5人探して取材をし、コメントを取る。猶予は2週間。
 これが、ある日のミッション。
「○○に詳しいって誰?」
とか言っている場合じゃない。リストアップする。「イメージが違う」と編集長。再び探す。電話をする。断られる。断られる。探す。断られる。
 こうしている間にも他のページの資料集めを進める。夜、携帯が鳴る。取材OKが取れる。思わず「よっしゃ」とつぶやく。

 1週間後にはアポもとれ、資料も集まり、ページ構成も決まり、デザイナーに発注するところまでこぎつける。まだ取材は終わっていなけど、アポが取れたらもう終わったようなもの。原稿は電車の中でも書ける。

 と、「昨夜のTVでタレントの何某が○○について語っていた」との情報が入る。「そのタレントのコメントも入れよう」と編集長。ほぼ決まっていたレイアウトの中に原稿一本分のスペースをねじ込む。番組の録画データを取り寄せて観る。タレント何某のコメントをチェックする。質問項目を考える。取材依頼の電話をかける。「電話取材でもいいので」と頼み込む。移動中の何某と電話で話す。原稿を書く。

 録画を見てから取材して書き上げるまで、わずか数時間。ふぅ、間に合った……。

 勢いのある雑誌とそうでない雑誌の違い。
 それは、取材力ではないかと思います。
 とにかく調べる、粘る。決してあきらめない。

 それを学んだのは、20年前、3件目の売り込みにして仕事を得た某誌編集部のR嬢からでした。
 エリート大学を出てたぶん挫折を知らないまますくすく育ったのでしょう、素直な分、R嬢のいうことはいちいちキツい。10歳も年上のおばちゃんにも容赦はありませんでした。

 でも、R嬢のおかげで私はライターになれたと思っています。
 たとえ5センチ四方の原稿でも決して資料だけで書かない。必ず現場を取材する。このくらいでいいだろう、という原稿を書かない。こんな人いるわけない、とあきらめない。全部、R嬢が教えてくれたことです。

 20代で1000万円以上の貯金をしている女子を10人探して取材せよ! 20代で管理職になっている女子を10人探して取材せよ! 毎号毎号、R嬢から来るミッションは「そんなのムリ」と言いたくなるような厳しいものでした。

 さすがに、20代で主任とかチーフとかではなく、課長、部長になっている女性を探せというミッションは厳しかった。電話をかけてもかけても「該当する人はいません」という返事が続く。なんせ20年前のこと。雇用機会均等法が施行され、ようやく総合職の女性も採用されるようになったばかりの頃。
 おもわずR嬢に「そんな人、いるわけないです」と電話をしました。
 するとR嬢は、受話器から顔が飛び出すんじゃないかという勢いでこう言いました。
「いるわけない、じゃない! 絶対いる!と思って探すんです! 今からコンビニにでも行って、求人情報誌を買って上から順に電話をするとか、なんとでもできるでしょう!」
 なるほど! そこまでするのか!! 
 でも、時間は夜8時を過ぎています。子どもたちをお風呂に入れたり寝かしつけたりしないといけません。だけど、締切は待ってくれない。あぁぁぁ。

 しかし私は書き続けました。「こんなの無理でしょう」と思うようなミッションもなんとか切り抜けてきました。私がひたすら原稿を書いている横で「おなかすいた~」と泣いている子の顔を今でもときどき思い出します。

 文章力より取材力。
 かつて編集者Sさんが言ったとおりです。
 その雑誌は確かに勢いがあり、売れていました。
 みっちりお付き合いしたのは2年くらいでしたが、何度かチームで社長賞をいただいたこともあります。
 編集者Sさんに「そんな企画売れるはずがない」と言われたSOHOものの企画は、出すたびに売れ、読者アンケートで毎回人気NO.1だったというおまけつき。

 駆け出しの時にあの厳しい編集部で仕事をさせていただいて、本当によかったと思っています。

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